JICA海外協力隊の世界日記

野菜と人を育てる。

≪活動まとめ その1≫ 人 ~EMA~

世界日記を初めて約1年半、ほとんど活動のことや東ティモールの様子を紹介してきました。

あまり現地の人たちと接するようなネタがなかったからです。

今回は、少し個人的な意見も含めて、ここ東ティモールで最近学んだことを書きたいと思います。

最近、帰国が間近に迫りながらも、野菜たちの成長は止まってくれずにバタバタしていました。

研修生や同僚たちとの関係は良好、社会見学も念願かなってようやく実現、忙しいながらも自分の活動に手応えを感じて更に加速中・・・

と、良い形でまとめに向かっています。

良いことが続いたら、その反動で小さなことがずっと悩みのタネになることもあって、脳内は常にフル稼働・ランニングハイ状態でした。

そんな時にある答えに出会いました。

私は、2015年の9月から約7カ月間この東ティモールを離れていました。

その間に、日本でじっくりと東ティモールを振り返ることができて、最初の1年弱で見れていなかった東ティモールの良さや問題点などに、その時ようやく気付けた気がしました。

再赴任してからは、それまで見れていなかったこの国の良さにもっと触れたい!

振り返ると、同僚以外の現地の人たちとプライベートな話なんてしたことないじゃん!

全然、東ティモールの人たちについて知らないじゃん。

と、今までゆっくり話をしたことがなかった人たちとちゃんと向き合って話をしたいな、と、休みのたびに町へ出かけて、出会った人たちの所で、少し足を止めて話をしました。

タクシーの運転手・・・

タイスマーケットのお母さん、お父さん・・・

家のお手伝いさん・・・

野菜売りのお兄さん・・・

今までは「外国人」と「東ティモール人」として、どこか壁があったように感じていた彼らともフランクに話ができている自分がいました。

今までその壁を作っていたのは、彼らではなくて、自分だったんだと思います。

タクシー、タイス、野菜、どれにしてもローカルなものです。

値段は基本的にその人によって左右されます。

・・・東ティモール人が1ドルで行けるところを3ドルでしか行ってくれない。

やっぱり、中にはそんなタクシーもいて、生活水準の差があるので当然と言えば当然だと、今は思うのですが、当時はなかなか理解できませんでした。

外国人たちをからかって、スレスレを走るような意地悪をしてくるタクシーもいました。

今、なぜ彼らとフランクに話ができているんだろう?

と考えたら、「東ティモール人」「外国人」という壁を作ってしまわずに話しかけたからなんじゃないかと思います。

私が彼ら、特にローカルな仕事をしている人たちに、「東ティモール人」だという壁を作ってしまっていたんだと思います。

そうすると、彼らも私のことを「外国人」として見るようになる。

お互い同じ「人」なのに、どこかで壁を作り上げてしまっていたために、びっくりするような値段でタクシーと言い合いになったこともありました。

「東ティモール人」というくくりだけで彼らを見ていた、ということに今更気付いて、情けない気持ちでいっぱいになりました。

ひとりひとり違うのに、一度タクシーで嫌なことがあれば『東ティモールのタクシードライバー=嫌がらせをする』という見方で見ていました。

もちろん、正直、そうやって警戒してしまうほど、彼らの態度は気持ちが良いものではありません。

特に現地語がまだまだ流暢でない時期は、そう思っていました。

日本語には敬語がしっかりと確立されていて、なかなか他の言語の敬語に当たる言い回しがピンと来ない時もあります。

特に東ティモールで話されているテトゥン語は、正書法がないため、国語としての位置づけはまだまだ整っていません。

1年、2年経ってようやく、日常会話の中からどういう言い回しがあるのかを何となく探り出して、声のトーンを変えるだとか、表情やしぐさをアクセントにしてみるだとか、英語のMr.やMiss.に当たる言葉を付けるだとか、何となくですが理解できました。

お互いが気持ちよくコミュニケーションできるように、私が下から謙虚に、柔らかく話をしないといけなかったし、それもちゃんと現地の言葉で、同じ土地に住んでいる「人」として、接しなければならなかったのだと、今更ですが気付きました。

この日は、タイスを織って、カバンやサンダルなどの小物を販売していたお母さんのところにお土産を買いに行きました。

冒頭で書いたように、帰国を間近に控えて色々な考えがグチャグチャになって悩んでいたのですが、すごく人当たりが良いお母さんだったので、買い物が終わってから人生相談をお願いしました。

『お母さん、もし私が辛くて、泣きたくて、悩みがずっと頭から離れない時は、どうすればまた笑えるのかな?』

お母さんは、作業中の手を止めて、

『そんな時はひとりにならないことだよ。家族や、友達と会って、話をして、全部出してしまった方がいいんだよ。悩んだって、いいことはないから。まぁ、でも、水浴びをして寝ちゃうのが一番だけどね!そんなに頑張らなくていいんだよ。』

と、まるで子供に言うように笑ながらゆっくり話をしてくれました。

やっぱり、お母さんなんだな~と感じました。

東ティモールの人は、あまり悲しみを引きずりません。

色んな困難が毎日待ち構えていて、いちいちクヨクヨしていたらキリがないからなのか。

もう戦争もようやく終わったんだから、もう嫌なことは考えたくないからなのか。

でも、水浴びて寝ればスッキリする、というのは私にとって新しいアイデアでしたが・・・。(笑)

お母さんの話を聞いて、

『東ティモールで生まれた人と、日本で生まれた人、という違いはあるけど、やっぱり同じ「人」なんだな。』

と、全く当たり前のことなのですが、今になってハッキリと分かりました。

お母さんは、私がまだ払っていない財布を

『もう払ってるよ!』

と言い張り、

2つで25ドルはするだろうカバンを

『25ドルもいらないよ、20ドルで十分だよ。』

と聞いてくれず、

『どうしてそんなに安くするの?』と聞くと、

『安くしてあげた方が、また来てくれるでしょ?また来てくれた時に、何か買ってくれたらいいんだよ。』

と、笑ってました。

私は何度

『オブリガーダ(ありがとう)』

とお辞儀をして、また来たいな、と思っていました。

『また来たい』と思わせるのも、やっぱり「人」の温かさでした。

私がお母さんと話をしていた30分弱の間に、何度かお客さんがカバンを見にやって来ました。

その度に、作業をする手を止めて、お母さんはお客さんの方へ向かいました。

タイスマーケットのお母さん、お父さんたちは数字だけ英語で話すことができます。

1人の観光客が英語で『このカバンは12ドルくらい?』と聞くと、お母さんは『Twenty, fifteen OK.(20ドルだけど、15ドルでいいよ。)』と、答えました。

そのお客さんは、少し迷ってから、『Too expensive!(高すぎるわ)』と言って帰ってしまいました。

お母さんが戻ってきて、『売れなかったね。』と言うと、『時々ああやって、見に来て、高いと言って帰る人たちがいるんだ。その度に作業ができないから困るんだよね。』と言っていました。

私は昔からタイスマーケットが好きで、ブラブラ見に行くこともあったのですが、私もきっと、邪魔だけして、交渉だけして、予算オーバーで結局買わない、という迷惑な客だったんだな、と反省・・・。

私も昔は、『東ティモールは日本より物が安くて当たり前。交渉するタイプのお店は、私たちにはすごく高い値段を付けてくるんだよな~。』と思っていましたが、一体それは正しいのでしょうか。

実際、タイスを織る手間や、それを切って縫い合わせる過程を見てみると、もちろん、時間のかかる作業でした。

でも、そんなところは見ずに、

『外国人に対して高く売っているんだ。絶対もっと交渉してから買おう。』

と決めつけていたのは、失礼だったんだな、と思いました。

その「人」が実際に作業している様子を見たり、

『これ作るのに何日かかるの?』 『1週間もかかるんだよ。』

なんて世間話をちょっと入れるだけで、なんだか少し予算オーバーしているけど、この「人」からなら買ってもいいかな、って思えるのは、日本でもありませんか?

もちろん、適正な値段が恐らく定まってなくて(大きい木彫り人形も、小さい木彫り人形も何故か値段が同じ)、その人によってバラバラだし(気分や日による)、そういう背景も問題であることは間違いないのですが。

その反面、そこも面白いとも思いますが。

もちろん、こうやって出会ったみんながみんな同じ考えだとは限りません。

時には危険を伴うようなイタズラをしてくる「人」もいるし、外国人嫌いの「人」ももちろんいます。

結局は、その「人」のモラルや考え方です。

東ティモールでは、そういうモラル・分別についての問題も非常に多いことも事実です。

学校での教育もそうですが、その「人」の育った環境や親御さんの教育によって、色んな「人」がいます。

日本も全く同じですよね?

その「人」をちゃんと見て、何かでひとくくりにせず一人の「人」と「人」として接することが、お互い気持ち良く生きていくうえで、どんな時においても何より大切なんだなと気付きました。

こうやって考えさせてくれるたのも「人」でしたし、私の中で答えが見つかったのも「人」と接する中でした。

もうすぐ帰国となりますが、この日感じた「人」の温かさはきっとずっと忘れないし、忘れてはいけないものだと思います。

黙々と、製品を作り続けるお母さんに負けないように、頑張って2年間の活動を締めくくりたいと思います。

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