ぐあぐあ日記enエクアドル

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粟島 実穂
(愛知県)

ボランティア/職種
青年海外協力隊
幼児教育
派遣国
中南米
エクアドル ピチンチャ県キト市
一言メッセージ
愛知県瀬戸市の公立保育園の保育士です。そこで出会った南米出身のこどもたちの存在がきっかけとなり、現在はエクアドルの首都キト市内の幼児センターで活動中です^^

 

幼児教育に対する互いの価値観①自由遊び

2018.06.29

活動

¡Hola! こんにちは^^

今回はいつもよりも少し真面目なタイトルですが・・・。

幼児センターでの活動の中で、最近私が感じていることや悩み、これからの計画について書きたいなと思っています。自分の活動の振り返りやまとめも兼ねて、①自由遊び ②食事 ③計画と時間配分 の3回に分けて書いていきたいと思っています。

少し長文になると思いますが、読んでいただけると幸いです^^

昨年の11月半ばから幼児センターでの活動が始まり、もうすぐ8か月が経とうとしています。振り返ってみると、状況把握や自分なりのペースを作ろうとすることに必死で、まだ何もできていないな・・・という思いと、各幼児センターの巡回を通して、少しずつエクアドルの幼児教育がわかってきたのでそれも活動の一歩ではないかという思いが混ざっています。

タイトルの通り、最近つくづく感じることは、エクアドルの先生と私たち日本の先生たちの「幼児教育に対する価値観」が異なるということで、それが自分の葛藤や悩みにつながっているということです。

もちろん、文化や考え方が異なるのは当たり前で、それはエクアドルに来る前からわかっていましたし、日本の考え方や幼児教育の在り方が全て正しいとは思っていないのですが・・・。でも、だからこそ、真逆とも言える価値観の違いを前にして、どこまで歩み寄り、どこで納得するのかに迷ってしまうのです。

例の一つとして、エクアドルの先生たちは「こどもたちが遊びを通して学ぶ」という感覚があまりないように感じています。

日本では、室内の自由遊びの時、部屋の中で色々なおもちゃを設定してこどもたちが「好きな遊び」を選ぶことができるようにします。そして、先生も一人ひとりのこどもの様子を見ながら、一緒に遊んだり、援助をしたりします。例えば、「この子は指先を使った活動が得意ではないから、そういう遊びに誘ってみよう。」とか「今日はあの子、少し情緒が不安定だから、スキンシップもとりながら一緒に遊ぼう。」などです。

エクアドルでは、「粘土で遊ぶ時間」「ブロックで遊ぶ時間」などが決められていて、その時間はその部屋に移動して、全員が同じおもちゃで遊びます。そして、多くの先生はその様子を見ているだけ・・・こどものことを少しでも見ていれば良いほうで、ずっと携帯電話を見てメールをしたり電話をしたりしている先生たちも多いのが現状です。

先程、あえて「好きな遊び」を・・・と書きましたが、私はかつての園長先生に「遊びとは本来こどもの好きなものなんだよ。だから好きな遊びという言い方はおかしいと思うの。」と言われたことがありました。それ位、日本ではこどもたちの遊びを大切にしています。いかにこどもの発達に合った遊びを保障するか、その遊びや一つ一つの経験を通してこどもたちが心身ともに成長できるように・・・という観点で、指導計画を作成し、遊びの環境設定や活動の進め方、援助の仕方を考えます。

でもこちらでは、教育的活動の時間にこどもたちに課題を与えて教えることが教育であり、自由遊びの時間に先生たちが一緒に遊びながらこどもたちに援助をしていくという感覚はあまりありません。

一つの決められたおもちゃで遊ぶということに関しては、初めは「こどもたちが選べないなんて。」と思いましたが、十分なおもちゃの量とスペースがあれば、こどもたちはそれなりに工夫をして楽しく遊んでいるので良いのかな、とも思えるようになってきました。ただ、やっぱり先生がこどもたちの遊びの様子を見て、必要な援助や声掛けをすることは大切だと思うので、私はこどものそばで一緒に遊んだり、先生とこどもを繋げるような投げかけは意識しているつもりです。

園庭での戸外(こがい)遊びの時に、誰も先生が居ない状態でこどもたちだけが遊んでいることも度々あります。驚いたのは、こどもだけ外に送り出して「暑いから外に出たくないの。」と言って、部屋で休憩していた先生・・・信じられませんでした。

そこまでじゃないにしても、どの先生もこどものそばから居なくなる時間が長いです。そばに居ても、こどもを見ていない、先生たちでかたまってお喋りをしている・・・こういう時に、ボランティアとして保育士として、ものすごい葛藤が生まれます。「現地の先生たちがやっていないことを私だけがやっているのはおかしいんじゃないか。」「でも改善するためにここに来ているから、いきなり色々なことは変わらないから、こういう期間も仕方ないのか。」「こどものために、今は一緒に遊ぼう。」などです。

「こどもを見る」という感覚も、異なるのだと思います。日本のように常に先生が見ていない分、こどもたちもトラブルがあっても自分たちなりに解決しています。自分たちで何とかしなくてはいけない場面が多い分、年齢の割に自立しています。日本だったら「それは危ないから。」と注意されるようなことも色々やっている分、怪我もありますが、危険回避をする身体能力や判断力は高いです。良いところもあるのかも・・・と思う反面、やはりこどもとの関わりを大切にしてきた日本の保育士としては、もう少しこどもを見てほしいと思ってしまいます。

一人でもやもやと葛藤していても伝わらないので、少しずつ先生たちに意識してもらえるように伝えています。「今こどもだけで外で遊んで、先生が誰もいないよ。」などと言うと「わかった、すぐ行くね。」と言って外に出てきてはくれるので、例え外でベンチに座って携帯を見ていても、まずはこどものそばに居ることを意識してもらえたらと思っています。

あとは、こどもたちのトラブルがあった時、こどもたちが私に言いに来てくれるのですが「担任の先生を呼んできて。」と頼んでみたり、割とこどものそばに居る先生に「エクアドルではこどもたちだけで遊んで、先生がいないのは普通なの?」と投げかけてみたり・・・そうすると、「そんなことないよ!だって私は今ちゃんとこどものそばに居るでしょ?」などと少し慌てます^^; そして、「暑いから」と外に出てこない先生を呼びに行ってくれたりします。

こういう幼児教育以前の地道なことをしていると、正直「私は何のためにここに居るんだろう。」と思うこともあるのですが、少しずつ先生たちの中で「実穂は私たちがこどものそばから離れていると多分いやなんだ。」というような意識が芽生えてきているように感じます。それを「私が言うからやる」から「なぜやらなくてはいけないのか」を理解し実行してほしいと思っています。そのためにもまずは、近いうちに園庭の図面と先生たちの立ち位置の表(危険箇所なども記入したもの)を作成し、こどもを見るということについて提案できたらと思っています。本当は、こどもを見ながら一緒に遊んでほしいんですけどね・・・一歩ずつ。

こちらの先生たちも理解はしていると思うのですが・・・わかっていてもやらない、やれないのことも課題であり、その先生たちをどう巻き込んで改善していくのかが私の課題だなと感じています。

【つづく】