2019/06/28 Fri
人 助産師
いのちの話
【ベナンの大都市にある病院内の壁画】
まうにぃふぉんみ~
(現地語フォン語の夜の挨拶。こんばんは・おやすみの頻度で使われるが、直訳で神様が今夜も守ってくれますようにという意味。)
ちょうど1年前、仲良くしていた友人の妊婦とその赤ちゃんが亡くなった知らせを聞きました。
西アフリカの医療機関で働く限り避けては通れない死。
日本では大学病院で働いていたため、死産の現場は幾度となく目にしてきました。
もちろん、これから産む妊婦さんの死も。
覚悟はしていたつもりでしたが、こんなに近くで起こるとやはり平常心ではいられませんでした。
友人であるお母さんの赤ちゃんは死産の宣告を受けていました。
死産といっても、生まれる前です。これはもちろん日本でも珍しいことではありません。生まれる前のおなかの中で何らかの理由で赤ちゃんの命が亡くなってしまうことがあります。
死産とわかったらお母さんの体はどうなると思いますか?
お母さんの体は命の亡くなった赤ちゃんを異物として捉えるため、産むように整えます。
帝王切開で産むことも可能ですが、手術となると次の妊娠などその他多くのリスクも抱えるため自然に産める体であれば通常通り自然に産むことを選択することが多いです。
今回のお母さんは子供たちを食べさせるため、臨月ぎりぎりまで売り子をして働き、さすがに疲れたから、と家でゆっくりするようになって受けたエコーで判明しました。
もちろん、働きすぎだけが原因ではありません。ここでは触れませんが、理由はたくさんあります。
私は現在、地域の保健センターに勤めており、医師はいません。(これは日本の助産所でも同じです。)
保健センターには助産師はいますが、助産師も多忙であるため手が離せない際などは日本で言うところの看護助手さんが出産を見ることが良くあります。(時には掃除婦さんがみることも・・)
そんな状況でもあるため、私と同僚は首都の大きな病院での出産を勧め、首都で出産をすることになったのですが、その大きな病院で原因不明の死とだけ伝えられました。
(あくまで同僚の予測ですが、陣痛を促進する薬剤の管理不足によって子宮が破裂してしまったのではないかと・・・)
※ ここで伝えたいのはアフリカの医療事情が劣悪だ!ということではありません。もちろん日本の医療は発達し国の補助も大きいためとても恵まれていると思いますが。
死に直面して伝えたいのは、
人の命に「絶対」はないということです。
だから、自分の家族をはじめ、大切な人は今!
精一杯!大切にして欲しい!
ということです。
家族など特にそうです。
以降NHKの番組で実際に放送された内容です。
(あくまでも世の中の平均値)
▼ 親と一緒に過ごせる時間は
残りの生きる年数 = ほぼ残り日数
といわれていました。
1年間で両親と会うのは
1年で平均6日間。
1日親と顔を合わせるのは1日平均4時間。
1年でたった1日分しかないそうです。
だから、残り生きる年数=ほぼ残り日数
私の場合は2年間は会えないため、丸2日親と会える時間を犠牲にしてここにきています。
今自分の目の前にいる人がいつ死ぬかなんてわかりません。
日本では赤ちゃんは安全に生まれて当たり前、そうでなかったら医療者が悪い、となんでも訴えられる時代ですが(それを否定も肯定もするつもりはありません)
その前に命がかけがえのないものだという感覚が麻痺しつつあるのは大きな問題だと思っています。
特に、赤ちゃんを産むママは誰しもが命がけです。
母は強し。と言いますが、その言葉通り、どんなお母さんでも、赤ちゃんの為ならどんなに厳しい状況でも体も心も赤ちゃんを守ろうと必死です。
助産師になって、より一層思います。
お母さんって本当にすごい。
赤ちゃんがうまれたら、おめでとう!可愛いね!って赤ちゃんだけに集中しがちですが、私はおめでとうとそれ以上に、頑張ったお母さんと赤ちゃんを労おうと努めています。
自分のお母さんに改めて感謝です。
【お母さんの背中で健やかに寝ている子ども】
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