JICA海外協力隊の世界日記

黒海中継 by チーム・ギレスン

西洋と東洋の溶けあう所

チーム・ギレスン 丹羽です。

私の投稿は八回目となりますが、今回はトルコ・エーゲ海沿岸の観光地・ボドルム(Bodrum)と、そこからフェリー船で一時間程度のギリシャ領コス(Kos)島について記述します。

ボドルムは、古くはハリカルナッソスと呼ばれ、今はマリンスポーツ等のメッカとして、世界中から観光客が集まるリゾート地です。見所の一つに聖ヨハネ騎士団が建造した城があり、彼らの出身国に由来する塔や、城内に古代沈没船の展示コーナー等があり、大変興味深い場所です。建造にあたっては、近くの古代世界七不思議の一つのマスソロス霊廟から石材を流用したとの事です。

尚、七不思議は他に、ギザのピラミッド、バビロンの空中庭園、オリンピアのゼウス像、エフェソスのアルテミス神殿、ロドス島の巨象、アレクサンドリアの大灯台と言われ、トルコ(アナトリア地方)には、エフェソスを含む二つがあった事になります。ギリシャ時代以前から、エーゲ海を臨むこのアナトリアには他に類を見ない文明があり、世界初の銀行はエフェソス、高級羊皮紙の発明は英語のparchmentの語源にもなったペルガモン(現イズミール県ベルガマ)、初の詩人ホーマーはイズミールにて、歴史家へロトドスはハルカリナッソスの出身で、初の語り部(taleteller)のイソップもこの地が出身との由(一部出典:アナドルジェツト機関誌)。

残念ながらマスソロス霊廟の跡地は、ほんの一部の石材しか現存していません (写真:1枚目)。

近くのエーゲに位置するコス島も古い歴史を有する場所です。中心地のコス・タウンはBC366年に始まり、医学の父・ヒポクラテスを輩出しました。彼がその木陰で医学を生徒に教えたというプラタナスの大樹があります(2500年程前から存在する計算になります…?)。エーゲ海は島が多く、ギリシャ半島から島々を介すればアナトリアは近く、当時、国境は無かったのでしょう。尚、同島には約千人のトルコ人が、オスマン帝国以来約5百年在住し、モスクも二つあります。

さて、コス・タウンにはアゴラと呼ばれるギリシャ遺跡があります(写真:2枚目)。その後、ローマ時代にはフォーラムと呼ばれた人々が集まる場所をアゴラは意味するとの由。やがて、そこで交易(物々交換や貨幣による売買)が始まり、その場所がメルカートと呼ばれるようになり(one stop shoppingの始まり?)、マーケット(市場)やマーケティングの語源になった様子です。全ての道が通じると言われたローマの七つの丘の一つカピトリーノが首都・キャピタル(中心地)の語源となり、テルミナがターミナル(終着駅)となり、コルソ通りがコース(道)、 サーレ(塩)がサラリー(給与)になった様に…。

私は、エーゲ海の島々やその小アジア側も、イスタンブル同様に東洋と西洋の境目だと感じました。文化等の違いを許容し、過去の不幸な戦いからも学びつつ、平和を保持し、今後も発展して欲しいと願っています。これ以上悠久の歴史を語るには、年齢の割には余りにも浅学菲才であり、且つ、読者諸氏の忍耐の限界もあろうかと思います。

余談ですが、個人的には魚介の種類が黒海とは異なり興味深く食しました。決して、アルコールのみに傾注した訳ではありません。コス島では漁師が柔らかくするために蛸をコンクリートに打ち付ける様子(写真:3枚目)を見聞きしながら海岸のレストランで蛸サラダをいただき、ボドルムでは、地元産の海藻の前菜を食しました。これは、まさに海藻そのもので、ナポリのゼッポラの様に小麦粉にまぶし素揚げにしたものではありません。

最後に私事、任期が終了に近付き、拙文が最終となり之にて失礼致します。お付き合い頂き、誠にありがとうございます。今後も、チーム・ギレスンとして、二人のSVが継続投稿すると思います。何卒、宜しくお願い致します。素晴らしい新年、皆様のご多幸を祈念します。

チーム・ギレスン SV 丹羽世之樹

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