JICA海外協力隊の世界日記

Haruka Matata

原爆展

Paro(ストライキ)が明けて、すぐ、原爆展を開催しました!!

広島県出身の協力隊は、出発間際の表敬訪問の際に平和学習の時間があります。

その中で、原爆展を行う資料を任国まで送ってもらえること、そして、様々な国でこれまでに多くの協力隊が開催していることを聞き、

私もチリで開催したいな~と漠然と思っていました。

そして、まあ、やっと開催できたというとこです。

紆余曲折がありつつ、年末で夏休み前というギリギリの時期だったため、一週間で四回開催するというハードスケジュールに。

学校に直接赴いて2校開催し、病院では待合室と体育館で二回開催。

最初の学校は80名程度で、一回で終了。

二校目は3回に分けて500名程度の学生に。

病院の待合室では朝から晩までいたのに、通りすがりの患者さんを入れて50名程度…

一番宣伝もしたのに、準備も時間かかったのに…

最終日は体育館で近くの学校を招待。

準備万端になってから二時間経っても来ず… こっちの気合や準備は、成果とは全然結びつかないということを改めて感じました。

まだまだチリ人や、チリの文化を理解し切れてないということでしょう。

学校での開催では、上映環境が悪いにも関わらず静かに、みんな興味深く見てくれました。

(この写真はちょっとやらせで、生徒の名前を日本語で書いてるところなんですが…人気あるように見えるので)

上映後の質疑応答では、放射線の影響や、原子爆弾について、アメリカについてなど質問などがあり、

私の家族がそこにいたのか、私が何か障害をもってないのかなど、個人的な質問も多かったかな。

全体を通して、教育現場である学校は原爆展開催に協力的で、子供達は感受性豊かで、興味を持ってくれやすかったと思います。

原爆展を通して、様々な事を調べたり、考えたりして、改めて原爆の影響の大きさと戦いの悲惨さを感じました。

最後のクラスで、どう感じた?という質問をしたところ、

impacto(衝撃)という言葉が返ってきました。

チリの人達の多くも「広島」や「原爆」という言葉は知っているけど、実際の映像や写真を見る機会はほとんどなく、

その悲惨さは少しの資料では伝わっていないということ。

原爆が世界に起こっている悲惨な過去ではないし、今もどこかで戦いの巻き添えになっている人達がいることを、

私も忘れないようにしないといけないなぁ。

原爆展が改めて平和について考える機会になっていれば、原爆展は成功だったかな~と思います。

そういう意味ではimpactoという言葉がでてきたので、成功だったかな。

こうしてチリに住み、友人が持てる事に感謝して、残りの任期も楽しく過ごしていきたいです。

いろいろトラブルがあり迷惑もたくさんかけたけど、原爆展を開催してよかった。と少し経った今、そう思えます。

SHARE

最新記事一覧

JICA海外協力隊サイト関連コンテンツ

  • 協力隊が挑む世界の課題

    隊員の現地での活動をご紹介します

  • JICA 海外協力隊の人とシゴト

    現地の活動・帰国後のキャリアをご紹介します

  • 世界へはばたけ!マンガで知る青年海外協力隊

    マンガで隊員の活動をご紹介します

TOPへ