全身サモア(慶野隊員は帰国しました。)

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慶野 結香
(神奈川県/秋田県)

タイプ/職種
青年海外協力隊
学芸員
派遣国
大洋州
サモア 首都アピア
一言メッセージ
2016-3次隊として、2017年1月末から太平洋の真ん中に浮かぶサモア独立国にある国立博物館(Museum of Samoa)へ学芸員として派遣されています。

 

もうひとつのサモアにいったはなし

2017.10.05

文化

そういえば、サモアに来てから初となる海外旅行(任国外旅行)を同期としてきました。期間は8月11日(金)から14日(月)までの3泊4日。行き先はアメリカンサモアです。ついついうっかりしているうちに二ヶ月も前のことになってしまいました。うっかりしすぎですね。

サモアは世界で一番はやい時間帯(UTC+13:00)に属しており、日本からは4時間はやく新しい日を迎えています(サマータイム実施時(現在)は5時間はやくなっています)

一方、小型飛行機に乗り30分程度で行くことのできるアメリカンサモアは、サモアと同じ時間であるかのように見えるのですが、実は24時間遅いUTC-11という時間帯で、ちょうど一日違います。

元々、サモア諸島というひとつの地域であり、文化や風習を同じくするにも関わらず、18世紀頃から西欧諸国に島を発見され、捕鯨貿易の燃料補給地としての必要性などから侵略の対象になり、とうとう1899年にドイツ、イギリス、アメリカ間の協定が結ばれ、西経171度を境に西側(現在のサモア)をドイツが、東側(現在のアメリカンサモア)をアメリカが領有することになり、サモア諸島は二つの国に分かれてしまいました。

サモアはニュージーランドの委任統治領を経て、1962年に太平洋諸国のなかで一番はやく西サモアとして独立しますが、東サモアは現在もアメリカが海外領土としています。そんなこんなで、もうひとつのサモアに向かうべく公用旅券を握りしめてサモアを出発。操縦士の一挙一動も見える小型飛行機からは、ウポル島の大自然を見ることができました。写真はウポル島の東端あたり。

今回の旅の目的は、個人的に興味をもってちょいちょい調べている、サモアではシアポ―(Siapo)と呼ばれる樹皮布(タパ布)のうち、ママヌ(Mamanu)という、現在はアメリカンサモアでよく見られる手描きの技術で作られたものを実際に見ることと、同期隊員の任地での家族がアメリカンサモアに住んでいるので実際に会うことのふたつ。

シアポ―(樹皮布)の柄のつけ方で有名な方法として、エレイ(Elei)と呼ばれる、版木を使って上から顔料をつけ柄を刷る方法と、ママヌというハンドライティングの方法の二種類があります(赤色一色など、まだまだ他にも種類はあるのですが)

アメリカンサモアの博物館(Jean P Haydon Museum)では、シアポ―の書籍を著すなど製作だけでなく普及と流通にも貢献したシアポ―作家メアリー・プリッチャード(Mary Pritchard, 1905-1992)の作品も見ることができました。ちなみにこの博物館は、アメリカンサモアのローカルアーティストの絵画から展示がはじまりつつも、紹介すべきサモアの文化をきちんと網羅しているいい展示をしていました。うう、サモア国立博物館も頑張ろう。。

話を戻して、ふと手許にある1930年頃の農業展をうつした写真を見てみると、当時は手描きのシアポ―が大半だったにも関わらず、現在サモアで見られるシアポ―はエレイのものがほとんど。一方、現在のママヌのデザインは、色々な動植物をグリッド(格子)のなかで図案化したもので、かなり様式化されています。腰に巻くといった実用というより、作品として家に飾るのに向く緻密さ。サモアで(技術としてはあるのに)現在は手描きのものがあまり作られていない謎。これは、シアポ―製作も複製技術時代と無縁ではなかったということでしょうか(かなり原始的な複製技術ですが)

アメリカンサモアのなかでは、南西部のレオネ(Leone)村でのシアポ―製作が有名であり、メアリー・プリッチャードの孫娘であり、アーティストのレッジ―・メレディス(Reggie Meredith)さんにお会いして作品を見せていただくこともできました。彼女は伝統技術を守りつつも、コンテンポラリーのアーティストとして活躍しており、長年地元のコミュニティ・カレッジで教鞭をとりつつ、近年はアメリカのスミソニアン博物館と樹皮布の研究や修復も行っています。なんと修復は日本の和紙を用いて裏打ちしているとのこと!また、レッジ―の作品はシアポ―の生地を活かしつつ、ムカデ柄など昔あったけれどいつの間にか使われなくなってしまった柄を再び取り入れていたりと、とても野心的で素敵なものでした。

レッジ―に会ってから、旅の目的二つ目を達成すべく家族の住む村へ。本家はサモアのサバイイ島にあれど、仕事を求めてアメリカンサモアのツツイラ島に暮らす一家が暮らしていた村は…自然が豊かすぎて、険しいともいえる国立公園の山を車で20-30分走りきった先にありました。ツツイラ島の北側にあるバキア(Vatia)村です。

家族のお父さんは、アメリカンサモアの重要な足となっているバスの運転手をしており、日曜日以外の毎日、山を越えて通勤しています。大規模な缶詰工場もあり、雇用が多いためサモアから出稼ぎに来る人も。

滞在後半の二日ちょっと、サモアの家族と一緒に海辺を散歩したり、教会(はじめてのモルモン教会、三時間コースを体験しました)に行ったりと、まったりとアメリカンサモアの日常を垣間見ることができました。

言葉も文化も同じだけれど、やっぱりちょっと違う二つのサモア。書ききれないため、以下に主観的ですが、短い滞在で気がついたサモアとアメリカンサモアの違いについて列挙して終わります。

・サモアは中国系の店が多いが、アメリカンサモアは韓国から来た人々のお店が目立つ(キムチなど買える)

・サモアでは路上で「サイナ(中国人)」「ニーハオ」などと呼びかけられることが多いが、アメリカンサモアではあまり言われない

・サモアではオープンファレ(壁のない家屋)が目立つが、アメリカンサモアはオープンファレがない家も多く、一軒一軒が大きい

・生活の足は、サモアではバス<タクシーだが、アメリカンサモアではバスが数分おきに来るため乗客も多い

・首都で食事ができるところを比べると、サモアの首都アピアの方が、アメリカンサモアのパゴパゴよりお店が多い(初日に食べ物を求めて右往左往しました)

・海外から輸入されている食料品や布などは、アメリカンサモアの方が豊富で安い

・サモアの人が海で泳いでいるのを見たことがないが、アメリカンサモアの若者たちは海で楽しそうに泳ぐ

・サモアの人々は留学や移住などでニュージーランド、オーストラリアを目指すが、アメリカンサモアではアメリカ一択(後日サモア人の同僚に聞いたところ、学力がそこまで高くなくてもアメリカンサモアからアメリカの大学へは行けるとのこと)