JICA海外協力隊の世界日記

みんなあのねのセネガル便り

みんなあのね、「お手伝いのあとに」

任地サンルイを去るまで、残り1か月と少し。

協力隊生活も終盤であるけれど、新しい活動が始まった。

もともとは、昨年末にお話を頂き、

年明けから活動を始める予定であったのだけれど、

様々な事情で5月になる今日まで始められなかった。

新しい活動先は、女性と子どもの家というところで、

日本の資金援助で設立されたコミュニティ施設である。

この施設があるのは、サンルイ市の西部、

ゲンダール地区というところで、

セネガルでも有数の漁村である。

人口密度も高く、ゲンダールの道を歩けば、

人とヒツジとペリカンがあふれていることに気が付く。

ゲンダールに住む住民の多くが幼いころから家業を手伝うため、

識字率は5パーセントほどと教育水準は低い。

何度かこの地区を訪ねたことがあったが、

正直私は好きになれずにいた。

道を歩けば、中国人と呼ばれ、

「チンチョンチャン」と中国語の音を真似て

バカにするように声をかけられたり、

泥やマンゴーの種を投げられたこともある。

ゴミにあふれ、においもきついと感じた。

道端でトイレをする子どもがたくさんいて、

オトナも海沿いや川沿いで用を足している。

道端でのケンカもよく目にした。

オトナにも子どもにも「お金ちょうだい」と言われた。

サンルイ市のほかの地域に住む人が

ゲンダールの住民をゲンダリアンと呼んで馬鹿にしているということも

耳にしたことがあった。

それでも、ここゲンダールで活動が始まった。

残りの任期が1カ月で。

子どもの家では、私が施設の女性職員とともに

ゲンダール地区の子どもを対象にしたアトリエを開催する。

私たちが子どもたちを預かることで、

働き詰めの女性が休憩したり、育児のストレスを減らしたりできるよう

アトリエが活用される。

以前、サンルイに赴任していた協力隊員が活動の傍ら

アトリエを開催していたらしく、

当時子どもを預けていた保護者の方からお礼の言葉を聞くこともある。

私と女性職員の開くアトリエは、

基本的に工作教室を予定している。

家に作品を持って帰ってもらい、

子どもと保護者の話題の種にしてもらいたいとも思っている。

第一回目のアトリエでは、空き箱を利用したマスク作りをした。

以前シテニャフ幼稚園でも取り上げた制作だ。

初めましての第一回、子どもたちは少し緊張気味の様子だったけれど、

作品が仕上がるにつれて会話も増え、表情が柔らかくなっていった。

識字率が低いここゲンダールは、

就学率、進学率も他の地域に比べて低い。

ゲンダールを歩いた時の印象も強く残り、私は勝手に

ルールを守るのが苦手な子ども、

話を聞くことが苦手な子ども、

社会性が育っていない子どもが多いと思っていた。

しかし、子どもたちは、集中して制作に取り組むし、

私の説明もよく聞くし、

子ども同士で手伝い合う姿も見られた。

アトリエが終わると、子どもたちは

ほうきを持ってきて、掃き掃除を始めた。

机と椅子を持ち上げて運び、きれいに掃いていく。

私は子どもたちの姿を見て、

自分が持っていたゲンダール住民に対する固定概念が

恥ずかしくなった。

「次のアトリエはいつ?」と

嬉しそうにきいてくる子どもたちの笑顔が可愛らしかった。

「また来てくれる?」と子どもたちに聞くと、

「手伝が終わったら」と多くの子どもが言う。

ゲンダール地区では、子どもも労働の担い手なのだと思った。

漁村のゲンダールは、男性は海へ出て、

女性は魚の加工場で働いている。

男の子は、体つきがたくましくなってくると一緒に海へ出て、

女の子は、加工場の仕事を手伝ったり洗濯や弟、妹の世話など、

家事の手伝いをしたりしている。

子どもたちに何がしたいかきくと、

絵を描きたい、制作をしたい、撮影大会がしたい、

など、いろいろアイディアをくれた。

1か月と短い期間の中で

どれだけのことができて、

どれだけのことが残せるのか分からないけれど、

せっかくのご縁を大事に、

子どもたちと楽しい時間を過ごそうと思う。

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