みんなあのねのセネガル便り(西村隊員は帰国しました。)

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西村 綾介
(神奈川県)

ボランティア/職種
青年海外協力隊
青少年活動
派遣国
アフリカ
セネガル サンルイ州サンルイ市
一言メッセージ
ボクでなきゃ!キミでなきゃ!たわむことのできるしなやかな軸をもって、子どもたちの笑顔のために力を合わせて頑張ります。

 

みんなあのね、「子どもたち」

2017.08.19

その他 帰国後発信

セネガルでは、すべての子どもたちが学校へ行き、

勉強をしたり遊んだりしているかというとそうではない。

地域や地区によっても差があるが、

就学率が低いところもまだまだあるのが現状である。

学校へ行かない子どもたちは、

家事を手伝ったり、家業を手伝ったり、町へ出て

シゴトをしている子どもたちもいる。

そのような子どもたちは、

お手伝いや仕事の合間をぬって、

道端で近所の子どもとサッカーをしたりお話をしたりして

子ども同士で過ごす時間も楽しんでいる。

タリベと呼ばれる子どもたちも、

遊びで笑顔を見せる時間がある。

私は、この「みんなあのねのセネガル便り」でお伝えしてきた通り、

学校へ行っていない子どもたちとの活動もした。

タリベと呼ばれる子どもたちは

義務教育である学校へは行っていないし、

ゲンダール地区の女性と子どもの家に来る女の子の多くが

家事や家業の手伝いに一日の多くの時間が費やされていた。

帰国してから分かったことだけれど、

学校へ行っていない子どもたちとの活動に対するイメージが、

少し異なることに気が付いた。

学校へ行っていない子どもたちを

「学校へ行けない子どもたち」と思う人が多いのだ。

学校へ行っていない子どもたちのその理由は、

今まで述べたとおりだが、

学校がつまらなくて行かなくなったという子どももいるのである。

どんな子どもも、学校へ行き、

将来の夢のために勉強したいと願っている、わけではない。

学校へ行けず、

勉強したいと思いながら家事や家業を手伝う子どもも

もちろんセネガルにいるけれど、

すべての子どもがそのようではない。

タリベと呼ばれる子どもたちには、

ダーラと呼ばれる寄宿舎がある。

彼らはダーラで寝泊まりをし、マラブと呼ばれる宗教指導者のもとで

イスラム教徒に必要な価値観や文化、コーランを学ぶ。

しかし、寝泊まりをするダーラといっても、

柱と屋根だけのダーラや、

砂の上にござを敷いているだけのダーラもあり、

一口にダーラといっても様々なダーラがある。

水道・電気・ガスのないダーラも珍しくはない。

劣悪な環境のダーラも多く、

海外メディアに批判される理由のひとつだ。

タリベの中には、そのようなダーラで寝泊まりをするより、

道端の方が眠れるという子どももいて、

コーランを学ぶときにダーラへ行き、

そのほかの時間は路上で過ごすという子どももいた。

コーランの学びの時間以外を路上で過ごすということは、

私たちが家ですることすべてを路上でするということである。

寝る、食べる、トイレをする、シャワーを浴びる、

すべてを路上でしている。

私は、タリベを対象にしたアトリエを路上で開催し、

お絵かきや工作の時間を子どもたちと楽しんだり、

音楽を楽しんだり衛生指導をしたりもした。

タリベたちの集中力は素晴らしく、

日が暮れてもろうそくの下で絵を描き続ける子どももいた。

衛生指導の話のときは、あくびをする子ども、

隣の子どもにちょっかいを出す子どももいたが、

ゲーム性を持たせたりしながら進めて話を聞いてもらった。

うまくいかなかったのは、算数である。

子どもたちに簡単な四則計算はできるようになってほしいと思い

協力してくださるマラブのいるダーラで始めたのだが、

子どもがすぐに集まらなくなった。

勉強に対する苦手意識なのか、

楽しくないと思われているのか、

第一回目の算数のクラスがあまりにもひどかったのか、

いろいろ理由は考えられるのだが、

学校に行っていない子どもたちもみんな勉強したいと思っている

と、一括りに考えることはできないと、

この時にも私は感じたのである。

セネガルで私が出会った子どもは特別な子どもではなかった。

いままで生きてきた道のりは、

日本の子どもとセネガルの子どもでは違うし、

セネガルの子ども同士でも異なる。

いま生きている環境も異なるが、

子どもは子どもである。

楽しいときには笑顔になるし、

怒っているときは怒った顔をする。

悪さを企んでいる子どもは、悪そうな顔をする。

世界を見れば、「同じ子どもだよ」と

言うことのできない子どももいるだろう。

子どもらしくのびのびと過ごすことのできない子どもいるだろう。

しかし、

アフリカの子ども、途上国の子ども、セネガルの子ども、

学校に行かない子ども、行けない子ども

と一括りにはできないのではないだろうか。

私もついつい「セネガルの子どもはね」と

話を始めてしまうことがあるのだが、

100人の子どもがいれば、100通りの子どもの姿がそこにある。

私は、この「みんなあのねのセネガル便り」で、

活動の様子や出会った子どもたちの様子を伝えてきた。

この世界日記では、

各任地で出会った子どもの様子を伝える他の隊員もいる。

たくさんの写真に子どもたちが写っているが、

ぜひ、その子どもの背景にあるものを想像してほしい。

途上国の子どもで、生活も大変だろうけれど、

笑顔で写っていてよかった、救われた、安心した。

で終わるのではなく、

その笑顔にあるものを想像すると、

きっと、違った写真に見えてくるだろう。

帰国してもうすぐ2カ月が経つ。

私がセネガルで出会った子どもたちを、

もう少しお伝えさせてください。