2016/10/31 Mon
文化
みんなあのね、「過去へ」
先日、ゴレ島を訪問した。
ゴレ島は、セネガルの首都ダカールの沖合い約3kmに浮かぶ。
東西300m、南北900mの小さな島だ。
1444年にポルトガル人に発見されて以来、
ヨーロッパ列強国の間で主権争いが繰り広げられ、
ゴレ島は最終的にフランス領となる。
ゴレ島は、1848年に奴隷貿易が禁止されるまで、
新大陸への積み出し港として発展していくこととなる。
「奴隷の家」として博物館になっている建物(写真1枚目)は、
オランダ人により建てられたもので、
建物全体で常時150~200人が押し込められていたという。
大人も子どもも。男性も女性も。
同じ人間によって、商品としての価値をつけられた。
奴隷として収容された人たちは、鉄の首輪と腕輪をはめられた。
衛生状態も非常に悪く、伝染病が流行することもあった。
奴隷貿易の基地とされたゴレ島には、
今でも奴隷収容所や奴隷を売買した館、
列強同士の島の奪還争いの際の砲台などが残っており、
この島の悲惨な過去を物語っている。
現在のゴレ島は、とてもゆったりとした時間が流れている。
コロニアル建築のカラフルな建物が立ち並び、
ブーゲンビリアが咲く路地裏。
アートの島の顔も持つゴレ島は、
アーティストの作品が島の至る所に飾られ、
交渉してその場で購入することもできる。
ゴレ島は、ユネスコの世界遺産に登録されていることもあり、
島を訪れる旅行者も少なくない。
島には原色が眩しい様々なお土産も売られている。
カーラピッド(セネガルを走るカラフルな車体のバス)を
モチーフにしたブリキのおもちゃなどは、
童心をよみがえらせてくれる。
この島に住みつくアーティストは多いと聞いたが、
アーティストだけでなくジャンベと呼ばれる伝統的な太鼓の奏者など
島にたどり着き、住み続けるミュージシャンも多い。
人口2000人に満たない小さなこの島に、
島の子どもたちのための「子どもの家」がある。
子どもたちは、ここで自由に遊ぶことができる。
おもちゃや本を自由に借りることもできる。
手の空いた大人が本の読み聞かせをしたり、
島のアーティストが開くお絵かき教室があったり、
子どもたちの母親同士が集まって刺繍教室を開いたり、
子どもたちを中心に交流が広がっている。
私は、2回目のゴレ島訪問。
初めて子どもの家を訪問し、短い時間であったが、
子どもたちと遊び、スタッフの方々とお話しさせていただいた。
いつもたくさんの人から活動のヒントを頂いている。
そして、今回もたくさんのことを学ばせていただいた。
▼ユネスコ世界遺産のホームページで、
ゴレ島の写真を見ることができます。
http://whc.unesco.org/?cid=31&l=en&id_site=26&gallery=1&maxrows=28
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