みんなあのねのセネガル便り

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西村 綾介
(神奈川県)

ボランティア/職種
青年海外協力隊
青少年活動
派遣国
アフリカ
セネガル サンルイ州サンルイ市
一言メッセージ
ボクでなきゃ!キミでなきゃ!たわむことのできるしなやかな軸をもって、子どもたちの笑顔のために力を合わせて頑張ります。

 

みんなあのね、「いつもの景色」

2017.06.13

その他 生活

いつも見ていた風景が、

なんだかいつまでも見ていたい風景になってきて、

もう帰国なのだと実感してきた。

たくさんの「いつもの」が

「最後の」ものやことになっていて、

寂しい気持ちでいっぱいである。

上の写真は、布を取り扱うお店で、

ワックスと呼ばれるセネガルの布や

お隣モーリタニアやギニア布も売られている。

このお店のご主人は、活動先で出会った子どもの保護者の方で、

なにかと良くしてもらっていた。

セネガルでは、行事のときに洋服を新調することが多い。

自分でお気に入りの布を買い、それを仕立て屋さんにもっていって

採寸をしてもらい作ってもらうのだ。

町には布屋さんも仕立て屋さんもたくさんあり、

市場の一角は、「洋服エリア」になっている。

布は1メートル1000FCFA(日本円で200円程度)のものが多いが、

1メートル500FCFA(日本円で100円程度)のお手軽なものまである。

いろいろな色、いろいろな柄があり、

どの布で仕立ててもらおうか悩んでしまう。

セネガルに住む女性の多くがお洒落で、

ファッションに強い興味があるように感じている。

服に合わせてカツラをかえ、化粧を変え、カバンを変え、靴を変え…

そう、セネガルに住む女性の間でカツラは、

お洒落をするための道具のひとつである。

セネガルに赴任したときは驚いていたけれど、

店先に並ぶ大量のカツラを見ても、

目の前でカツラの取り外しを行われても、

まったく心が動じなくなったのは、

2年の月日のおかげかもしれない。

セネガルでよく見かけるおばさんはたいていバケツを持っている。

このバケツ、実は日本でいう「エコバック」である。

市場に買い物へ出かけるとき、バケツを持っていくのだ。

バケツを持つおばさんも見慣れたいつもの風景である。

セネガルのビニール袋の質は悪く、簡単に破けてしまう。

市場での買い物は、キロ単位などたくさん買うことが多く、

バケツなら破れる心配がなく安心なのである。

それに、セネガルに住む多くの人が、

重いものは頭の上に載せて運んでいるため、

袋よりバケツの方が、都合がいいのだ。

野菜も果物も肉も魚も同じバケツにどんどん入れられる。

セネガルには、20161月に発効されたビニール袋に関する法律がある。

これによって、ビニール袋の値段が上がったらしい。

以前は125FCFA(日本円で5円程度)だったものが、

いまでは150FCFA(日本円で10円程度)になっている。

袋の厚さが厚くなり、破れにくくなっているそう。

現在は、ビニール袋の無料配布を禁止しているらしい。

商店では買う量によっては無料でもらえることもあるが、

「袋を買うか?」という質問をされることもときどきある。

サンルイの私の行く市場では

売り子さんが袋を持っていないことがほとんどである。

私はバケツではなく、エコバックを持って市場へ行く。

いつもの、とまでは言い切れないけれど、

残念ながら交通事故もよく見る光景のひとつである。

クルマ同士の事故、バイクの事故、

日本にいるときよりも交通事故を目にする機会は

とても多い。

年間500人ほどの尊い命が交通事故によって失われ、

2016年は600人の尊い命が失われている。

今年は昨年を上回り、このペースで事故が起こってしまうと

年末までに800人もの尊い命が失われてしまうのだそう。

死亡事故の80パーセント以上が夜間と都市間移動に起きている。

セネガルでは、現在、

「スピードダウン、速度を落とせ」をテーマに、

さまざまな行動が起こされている。

セネガルでは、携帯電話を使用しながらの運転や

スピードを出し過ぎての運転が多い上、

道路はきちんと舗装されていないためでこぼこであることも多い。

移動に時間の早さを求めるセネガル人も多く、

ドライバーはスピード超過になりやすいのかもしれない。

日本の車検だったら通らない整備不良の車も町を走り、

事故に遭って運ばれる先の病院の医療水準の低さもあって、

死亡事故の数字が大きくなっている。

見慣れてしまったセネガルでの交通事故。

「またか」と思ってしまうほど多い交通事故。

いつもの景色が最後の景色になって、

寂しい気持ちを感じている活動終盤のいまであるが、

交通事故は、いつもの光景からなくなることを祈るばかりである。