JICA海外協力隊の世界日記

牛vaca日誌 in PARAGUAY

なんにもないけどアルティーガス

みなさま、おはようございます。こんにちは。こんばんは。ヘネラルアルティーガスの渥美です。

帰国間際となった最近、任地の人々との心が通ったような気がする瞬間が増えてきました。

そして、残りの滞在日数を月単位で表せなくなってしまった今、いろいろな思いや情景が頭をよぎります。JICAの車に揺られて任地に到着した時の気持ちは今となってははっきりとは思い出せないけれど、期待とう歩きと不安とが入り混じっていたような気がします。1年と9か月この町で過ごして、こんなに小さな町だけど思い出がたくさんできました。

違う任地の隊員と顔を合わせると活動の話などからパラグアイでのあるある話になったり、それぞれの任地の話になったりしますが、度々話に挙がるのは「僕の任地には何もない。」ということです。確かに、僕の任地には本当に何もありません。。。

ステイ先の家族に「素敵な場所やいい景色が見られる場所はある?」と聞いても、言葉に詰まるほどです(笑)。

必要なものは揃えることができるのですが、本当に必要な物だけで、それに引き替え「これより大事なものがあるのでは・・・。」と思うようなものがたくさんで、便利なような便利でないような不思議な町です。

銀行はないけど大学(分校)があり、電気屋はないけどアイスクリーム屋はある。

「なにも”ない”がここにはある」という日本の農村の観光PRキャッチコピーがありますが、ヘネラルアルティーガスはどっちつかずで、そんなキャッチコピーすらもつけられない気がします(笑)。

そのせいで隊員たちからはアルティーガスをもじって

”なんにもナイティーガス”

なんて言われたりします(笑)。でも僕は、そんな何もないアルティーガスがいつの間にか好きになっていました。任地に帰ってくるとなんとなく一息つけた気持ちになったり、帰巣本能が満たされて安心しているからなのか、俄然、尿意を催したり…。この町に心をひらいているのかなぁと思います。

最初のころは張り切りすぎて活動が上手くいかないこともあったし、活動の不調に引っ張られて他の事もうまく回らなくなってしまい、アルティーガスがとことん嫌いになったこともありました。

そんな時、いろんな人が僕を助けてくれ、なんとか踏ん張ることができました。辛く、苦しい時こそいろいろなことに気づくことができ、誰かから何かを学び取ることができたのだと思います。訓練所の講話で誰かが言っていた、「辛苦の時こそ道拓く」とはよく言ったものです。この1年9か月のうちに周り道をしたり立ち止まったりもしたけれど、そんな日々すらも今の僕の糧になっていると信じたいです。

以前までは活動で関わる人々の存在が大きくて任地の印象までもがそれに囚われていました。ですが仕事場以外の場所にも、仕事へ行く途中によく会い、挨拶やおしゃべりを交わす人や、良く一緒にお酒を飲む近くの大学生、そしてホストファミリーのみんな。こんなにも僕と関わってくれる人がいる、と気づいたとき、心がふっと軽くなった気がしました。彼らもまた僕にこの町で踏ん張るための力をくれました。

みんなのおかげで心に余裕が持てて、酪農家さんたちにも余裕をもって接することができるようになり、少しずつではあるけれど、この町が好きだと言えるようになりました。

酪農家さんたちの中にもしっかりと僕たちのプロジェクト(FOPROLEI)の目的を理解してくれる人もいて、いつも力になってくれています。本当にありがたいことです。

僕は町の人との目には見えない絆や思い出をこの町の中でたくさん作りました。

アレはあるけどコレがない不便な町も、

今を100%生きて、先の事はほぼ100%考えない人たちも

とても愛おしく感じます。

多くの事を学び、いろんな気持ちを味わったこの1年9か月。様々な形で僕に関わってくれた人たちへの恩返しのつもりで、この経験を今後の人生に活かさなければな、とひしひしと感じています。

他の人には、”なんにもナイティーガス”でも、

僕にとってはなんにもないけど”アルティーガス”です。

またいつか訪れたい大切な場所です。

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