JICA海外協力隊の世界日記

マラウィ・デイズ

音なきコミュニケーション

私のデスクは聴覚障害児学校の中にある。

午前の授業が終わると、生徒たちは一斉に

教室から飛び出してくる。

元気に走り回る子供たちの姿はどこも変わらない。

そこがとても静かで音がしないのを除けば。

初めて配属先を訪れたときに感じた

あの違和感の正体は、まるでサイレント

フィルムを鑑賞しているかのように、

そこに会話している声がないからだと気づいた。

生徒たちの聴力低下は決して軽くない。

例えるなら、工事現場のドリルの爆音に

やっと反応できるレベルである。

世の中には不平等や不条理や不運が

残酷なほどたくさんあるが、

音がほとんど聞こえないという現実は

どれほど生活の質を左右するのだろう。

職場の同僚からマラウイ手話を習い始めたのは、

私が何気なく手を使って表現したメッセージが

たまたま生徒達の理解に繋がったのがきっかけだ。

その瞬間の彼らの喜ぶ様子が予想外に

大きな反応だったのには私も驚いた。

外国の人とも意思疎通ができた!と感じて

その気持ちを表現してくれたのだろうか。

「君の名前はなに?」

「ジェームスだよ。あなたは?」

習いたての手話で、初めて生徒たちと

会話できた時のことをときどき思い出す。

彼らと私の距離が縮まった瞬間があったとしたら、

おそらくこの時だ。

どんなにもどかしい思いをしても、

ただ無言で立っているよりはずっとよかった。

生徒たちの会話を「見て」いると、

健聴者が話しているときよりも、

顔の表情が様々に変化していることがわかる。

手や指の動きだけでは伝えきれないことが

たくさんあるのだろう。

たしかに、人の表情は色々なメッセージを

発している。そう考えてみると、

だれかとコミュニケーションをとるとき、

相手の声のトーンや抑揚だけではなく、

目線、眉間のシワ、口角の位置などを通して

私たちは色々なことを無意識に感じ取っている。

コミュニケーションの手段は、

言葉や手の動きだけじゃないという

おそらくもっと本質的なことを、

あらためて彼らに気づかされた。

できなかったことができるようになったり、

気づかずにいた事に気づけるようになること。

その過程は長いし簡単じゃないし、

報われないことだって少なくない。

それでも、何もやらないよりはずっといい。

学ぶことをやめたとき、

人は本当の意味で老い始めるのだ。

若くない、とは別の意味で。

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