2026/03/09 Mon
文化
空を眺めて、ソウゾウする Paro

(↑小高い山からパロ空港を見おろす)
空を眺めて、ソウゾウする Paro
TRIP SKY
みなさんこんにちは。建築隊員のyutaです。
1つ前の記事では、「首都ティンプーの成り立ち」を少し紹介させていただきました。
前の記事:首都ティンプーの地図を描いてみると、、、 | ブータン便り(ブータン事務所) | JICA海外協力隊の世界日記
今回は都市的な目線から、みなさんがブータンに来られるときに必ず訪れるであろう、パロの街をのぞき見てみようと思います。
パロについて詳しく知りたい方は先輩隊員が記事にしていますので、そちらをご参照ください!
パロに住んでいた先輩隊員の記事:任地パロの紹介 | ブータン便り(ブータン事務所) | JICA海外協力隊の世界日記
今後もパロについての更新があるかもしれませんので、ご期待ください!
<空の街、パロ>(*以下の文章中の正確な年代や詳細は他書籍などをご参照ください)
ブータンを訪れると、多くの人がまず国際空港のある街、パロ(Paro)に到着します。
パロ国際空港は、周囲を険しい山々に囲まれ、世界で屈指の離着陸が難しい空港として知られています。
山脈を縫うように滑空するため、揺れが多くてスリリングではあるものの、ヒマラヤ山脈の眺望やブータン山岳集落の素朴さを、機内の窓からのぞき見ることができます。もしかしたら、山並みに沿ってブータンを見渡す鳥瞰的な視点は、この空路でしか経験することができないかもしれません。

(↑パロ空港の主要部。山が近いので離着陸が難しそうなのがわかります)
パロ国際空港が開港したのは1983年のことです。比較として、日本で最初の国際空港とされる立川飛行場は1922年ごろに開設され、1931年に羽田の東京飛行場へと引き継がれています。日本からおよそ50年遅れて、ブータンにも国際空港が誕生したことになります。ブータンは日本の昭和と例えられることもありますので、おおむね年代的には合っていますね。
しかし、現在の活気のある街からは想像しにくいのですが、1950年代中ごろのパロには、わずかな住宅と1つの学校があるだけで、「街」と呼べるような集落はほとんど存在していなかったそうです(パロ在住のおじいちゃん談)。その後、他県で農業開発に尽力していた日本人技術者:西岡京治さんがパロに拠点を移したこともあり、国際空港の設置と農業を軸に徐々に街が創造されていきました。

(↑中心街の健康広場。奥には山々がのぞいています)
つい最近まで、ブータンの国際空港はこのパロ空港のみでしたが、2025年12月に南部のゲレフー(インド国境近く)で国際便が就航し、現在は国内に2つの国際空港を持つ国となっています。
首都ティンプーと比べると、パロの中心街は斜面が緩く比較的平坦で、複数の幹線に対してやや直角に張り巡らされた道路と、それに沿った計画的な街区に建物が収まっているように見えます。川との高低差も小さく(洪水時は少し心配ですが…)、飛行機の航路もあるせいか建物の高さも抑えられているため、山の輪郭がよく見渡せるので、街のどこにいても周囲の山々が見守っているように感じます。
ちなみにティンプーは7階建てまで、パロは6階建てまで、と建築の高さ制限があります。
平面的に整った街並みが生む、秩序ある建築景観の美しさと、背景に広がる自然の流線形が対照的で、それら景色を刺すように滑空する飛行機の輝き。この街特有の空への景観がとても印象的に感じられました。
(↑川沿いには素敵な公園があったりします。この旗の色にはそれぞれ意味が込められています。)
この土地に合った農耕機を創造し、農業を軸に活躍した西岡さんをはじめ、そのほかの分野でも日本から遠いこの国でいくつものプロジェクト・ボランティアを成し遂げていった多くの日本人たち、さらには、協力してくださったブータンの方々の思いを想像すると、途方もなく、壮大で、不思議と感動すら芽生えてきます。何か思い出したり、想像するときは空を仰ぎますね。過去の人たちもこの空を見て思いを馳せていたのではないでしょうか?そうしたら、空では過去も未来もずっとみんなが繋がっている、柄にもなく、そんなことも想像してしまいます。
それではまた!
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