JICA海外協力隊の世界日記

マラウイ便り

調整員の娘から協力隊員へ

名前:辻本 未希子
隊次:2024年度2次隊
職種:看護師
配属先:ンチシ県病院
出身地:神奈川県

元々2024年度2次隊員として、モザンビークに派遣予定であったが、情勢悪化のため任国変更することとなり、マラウイへと派遣が決まった。
母は元協力隊員であり、派遣国はマラウイであった。そして私は、JICAボランティア調整員であった父の娘として2006年から2010年の4年間はマラウイで過ごしたことがあり、マラウイに決まった時は本当に縁のある国だと思った。
調整員の娘であるため、生活拠点は首都のリロングウェ、移動は車。現地のインターナ
ショナルスクールに通い、部活をし、家で母の作る料理を食べる。日本とある意味変わらない生活を送っていた。違うのは日本人以外とは英語で話し、学校以外の周囲はマラウィアンであったことだけ。周りのマラウィアンは優しく、子供だったためか外を歩いていると心配してくれていた。マラウイだからこそできたことだと今ならわかる。
両親がよく協力隊員を家に招いて、慰労会や激励会(という名の飲み会)を頻繁に開催していたため、隊員との距離が近く、たくさん遊んでいただいた記憶がある。そして、活動内容は難しくて覚えていないが、皆マラウイでの生活が楽しいと話しており、そして時々マラウィアンの時間へのルーズさややる気のなさについて話していた。子供の頃は、あまりマラウィアンと直接関わることが少なかったため、「そうなんだ」と他人事のように思っていたが、いざ自分が隊員としてマラウイにきて、マラウィアンと接すると「あ~。なるほど」と実感した。例えば、マラウィアンの同僚に「8時に来て。」と言われ、いざ行くと誰もいない。待てど暮らせど来ない、電話もつながらない、やっとつながれば、「10時に行く予定」と言われる。もう少し寝れたし、ゆっくりできたのにとどうしても思ってしまう。「あるあるだね」と隊員内で笑い話になると協力隊になったのだと実感する。現在隊員として活動を開始して間もないが、自分が幼いころに出会った先輩隊員の様にいつか、周りへ語れるようになりたい。首都とは違ったのどかで静かな任地ではあるが、良いところをたくさん見つけて周りへ伝えていきたい。
マラウイに戻ってきて、自分が大人になったなと感じたのはミニバスに乗車したときのことであった。子供の頃は突然止まり、出発し、人がぎゅーぎゅー詰めになっているミニバスが怖く、乗りたいと決して思わなかったミニバス。それが今は、平気で乗り、マラウィアンと一緒にぎゅーぎゅー詰めにあっている。
車も昔に比べて増えており、人口も増している。しかし、このマラウイという国は今も昔も変わらずにWarm Heart of Africaという言葉通り、明るく優しいマラウィアンが多く住んでおり、ホッとしている。
父から昔の写真を見せてもらい、今と比較すると少なからず発展はしている。アフリカ大陸内でも最貧国と呼ばれているマラウイであるが、豊かな自然や山々、マラウイ湖の美しい景観がある。
赴任して3か月ちょっとではあるが、子供の頃とは違うマラウイを見ていきたいと思っている。そして、調整員の娘としてぬくぬくと育った場所としてではなく、隊員として頑張って過ごした場所だと思えるように活動していきたい。

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子供のころのOld Town

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現在のOld Town(角度は違うが信号ができている)

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