2026/06/23 Tue
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自己責任と助け合いの間で ~「それちょうだい」から考えたこと~
「それちょうだい」の日々
モザンビークで暮らしていると、日々ちょっとしたモヤモヤがあります。
街を歩いていると、
「それちょうだい」
「ペン貸して」
「10メチ*貸して」 *25円くらい
「飲み水ちょうだい」
家に遊びに来た友達が、
・調味料を使う
・野菜を使う
・容器を使う(そして持って帰る)
・シャワーを浴びて帰る
最初は正直戸惑いました。
「自分で持って来ればいいのに」
「せめて一言聞いてほしい」
と思うこともありました。
しかも貸したものは返ってくるまで時間がかかります。
貸したペンは、気づけば誰かの手に渡り、どこへ行ったのかわからなくなることもしばしばです。
最近は、もはや「貸す用のペン」を持ち歩いています。
ただ、よく考えると私自身もたくさん助けられてきました。
家を訪ねると必ずと言っていいほど、
「ご飯食べていきなさい」と言われます。
充電が切れそうなときは、
「うちで充電しなよ」と言ってくれます。
着替えが必要ならカプラナ(アフリカ布)を貸してくれる。
暑い日はシャワーを浴びていきなさいと言われる。
帰り際には庭で採れた野菜や庭のマンゴー、パパイヤを持たされる。
モヤモヤすることもある一方で、私自身も多くのものを分けてもらいながら暮らしてきました。

「私のもの」と「みんなのもの」
彼らは、自分が持っているものを人と分け合うことに、あまり抵抗がないように見えます。
そんな経験を繰り返す中で、「所有」について考えるようになりました。
以前読んだ野田直人さんの著書、開発フィールドワーカーの中に印象的な話があります。
野田さんは、「この人たちは所有権と利用権を分けて考えている」(p.103)と説明しています。
つまり、持ち主はいる。
でも、
「その人が今使っていないなら、使いたい人が使う。」
「それの何が悪い?」
という考え方です。
モノが不足している環境では、そうした考え方には合理性がある、と考えることもできます。
こうして考えてみると、日本とモザンビークでは「所有」に対する感覚そのものが少し違うのかもしれません。
日本では、「これは私のもの」という感覚がまずあり、
「貸す」「あげる」「分ける」は、その境界線を越えて行う行為のように感じます。
一方でモザンビークでは、 「自分のもの」と「みんなで使うもの」の境界線が、日本より少し曖昧なように感じます。
もちろん私有財産はあります。
それでも「困っている人がいたら使わせる」という考え方が自然に根付いているように思います。
例えば、
・お金の貸し借りは日常的に行われており、「持っているときに助ける」という考え方がある
・お昼ご飯はお弁当を持ってくる人もいれば持ってこない人もいるが、その場にいるメンバーで自然に分け合う
・バスでは、知らない人から「子どもを乗せて」と言われて膝の上に子どもを預けられることがある。その一方で、私が大きな荷物を抱えていると、周りの人が嫌な顔ひとつせず荷物を持ってくれる
・家のガードマンが「携帯を充電させて」「冷凍庫に入れておいて」と物を持ってくることもある
こうしたやり取りを見ていると、「持っている人が使っていないものは、必要な人が使う」という感覚が日本より身近なのかもしれないと感じます。

自己責任と助け合いの間で
こうした「所有」の感覚の違いは、日本とモザンビークの価値観の違いにもつながっているように思います。
日本では「自立」が大切にされることが多いですが、
モザンビークでは「助け合い」が暮らしを支えているように感じます。
もちろん、どちらが正しいという話ではありません。
日本
• 自立
• 自己責任
• 人に迷惑をかけない
モザンビーク
• 困ったら助ける
• 持っている人が分ける
• 親戚・近所で支える
私がモヤモヤしてしまうことの根本には、こうした価値観の違いがあるのかもしれないと思いました。
モザンビークで暮らす中で、「自分のものとは何か」「人と分かち合うとはどういうことか」を考える機会が増えました。
今まで「貸して」と言われて少し嫌な顔をしていたものも、近頃は少しずつ笑顔で「いいよ」と言えるようになってきた気がします。
いつもたくさんのものを分けてもらっているしな…と思うと、不思議とこちらも「いいよ」と言えるようになります。
「与えること」も「受け取ること」も循環しているのだと感じられると、心が少し軽くなる気がします。
だからといって、何でも共有すれば良いとも思いません。
・自分で準備すること
・将来に備えること
・相手の所有物を尊重すること
そうした考え方も大切だと思っています。
正直なところ、今でも「もう少し準備できるのでは?」「自分でできることは自分でやってみてもいいのでは?」と思うこともあります。
それでもモザンビークで暮らす中で、私が当たり前だと思っていた「自立」や「自己責任」だけでは測れない価値観に少しずつ触れてきたように感じています。
自立と助け合い。
そのどちらかではなく、うまくバランスを取りながら暮らしていけたらいいなと思いました。
モザンビークに来てもうすぐ2年。
以前より少しだけ、人に頼ることも、人に与えることも自然にできるようになった気がします。
これもまた、モザンビークで教えてもらったことの一つなのかもしれません。
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