2026/10/15 Thu
文化 生活
「私は幸福だったから」―ワントクについて聞いてみた

こんにちは。PNGコミュニティ開発隊員の小林です。ミルンベイ州政府コミュニティ開発局にて活動しています。
パプアニューギニアで生活していると、「ワントク(Wantok)」という言葉をよく耳にします。
Wantokは、英語の“One Talk”に由来する言葉で、もともとは同じ言語を話す人を意味します。
現在では、親族や同郷の人なども含めた、互いに助け合う関係を表す言葉として使われることがあります。
こちらで話を聞いていると、「ワントクハウス」「ワントクガーデン」という言葉も出てきました。
たとえば、地方から町へ出てきたものの住む場所がなければ、町にいるワントクの家に住ませてもらう。
畑をつくる土地がなければ、ワントクから土地を借りて作物を育てる。

食べ物やお金を分けることもあります。
また、一つの家に両親と子どもだけではなく、祖父母や叔父、叔母、いとこなど、より広い親族が一緒に暮らしていることもあります。
もちろん、今回話を聞いたのは身近な数人だけです。
地域や家庭、人によって考え方も異なると思うので、これから書くことがパプアニューギニア全体に当てはまるわけではありません。
あくまで、私がこちらで生活し、何人かの人に話を聞く中で知ったこと、考えたこととして書いてみたいと思います。
そんな話を聞きながら、私は一つ疑問を持ちました。
仕事がなくても、ワントクの家に住み、食べ物を分けてもらえる。
一方で、自分が働いてお金を稼げば、それをワントクと分けることもある。
「それなら、働こうとする意欲にも影響することがあるのではないか?」
そこで、実際に聞いてみました。
ある年配の男性は、ワントクには二つの側面があると話してくれました。
困っている人を家に泊め、食べ物を分けることは、昔から続いてきた文化。
一方で、何もしなくてもお金や食べ物をもらえる状態が続けば、そこに頼り続けてしまう人もいる。
だから、大人になったら自分で何かをして、自分自身や家族を支えることも必要だと話していました。
「ワントクがあるから働かなくなる」と単純に言えるものではなさそうです。
そして、別の人にも聞いてみました。
その人は仕事をしており、自分が稼いだお金を、村にいる兄弟や姉妹などにも分けているそうです。
私は少し気になりました。
自分が働いて稼いだお金を、働いていない人にも分ける。
それを負担に感じることはないのだろうか。
そこで、「働いていない親族にも、自分が稼いだお金を分けることをどう感じますか?」と聞いてみました。
返ってきた答えは、
「I'm happy.」
でした。
理由を聞くと、「私は仕事を得ることができて幸運だった。でも、彼らはそうではなかったから」とのこと。
さらに、「自分だけ良い服を着て、彼らがそうではない状態にはしたくない」とも話していました。
そういう考え方は、私にはあまりなかったものでした。私はそれまで、「働いて得たものを、なぜ働いていない人にまで分けなければならないのだろう」という側からワントクを見ていたのだと思います。
でも彼女は、「私は運が良かった側だから、分ける」と考えていました。
さらに、今は自分が助ける側でも、いつか自分たちがその家族を頼ることになるかもしれないとも話していました。
「自分が稼いだものは、自分のもの」
私の中にあったそんな当たり前も、ここでは必ずしも当たり前ではないのかもしれません。
一方で、すべての人が同じように考えているわけでもありません。
以前、別の人からは、ワントクにお金を分けることを負担に感じているような話も聞きました。
今回話を聞いた人も、「みんな違う。分けたくなければ、それでもいい」という話をしていました。
また、今回のインタビューの中で、ワントクに対する考え方そのものが以前とは少しずつ変わってきているという話も聞きました。
人によっては、この仕組みを好まない人もいるそうです。
「パプアニューギニアの人は、みんなワントクを大切にしている」と単純にまとめられるものでもなさそうです。
そして、こうした話を聞いているうちに、もう一つ気になったことがありました。
そもそも、「家族って、どこまでなんだろう?」ということです。

日本で「家族」と聞いたとき、私はまず両親と子どもを思い浮かべます。
もちろん、日本でも家族の形はさまざまです。
ただ、私自身が「一つの家族」と聞いて最初に思い浮かべる単位は、比較的小さいものです。
一方、今回話を聞いた人は、父、母、子どもだけではなく、祖父母、叔父、叔母、いとこなども含めて、「We live as extended family. We live as one.」と話していました。
「私たちは拡大家族として暮らしている。私たちは一つなんだ」ということだと思います。
そう考えると、「なぜ自分が稼いだお金を、親戚にまで分けるのだろう?」という私の疑問自体が、私なりの「家族」の範囲を前提にしたものだったのかもしれません。
そして、家族として意識する範囲が違うのであれば、親や親族の役割も違うのではないか、とも思いました。
誰が子どもを育てるのか。
誰が見守るのか。
悪いことをしたとき、誰が注意するのか。
誰がどこまで責任を持つのか。
パプアニューギニアでは、生活している中で、若者による非行や犯罪について耳にする機会があります。
もちろん、その背景には雇用や教育、経済状況、アルコールやドラッグ、友人関係など、さまざまな要因があり、家族のあり方だけで説明できるものではありません。
日本でも、家族や養育環境と少年非行との関係については以前から研究されています(法務省『令和5年版 犯罪白書―非行少年と生育環境―』)。
では、パプアニューギニアの「家族」やワントクのあり方は、こちらで見られる若者の非行や犯罪と何か関係しているのでしょうか。
あるいは逆に、多くの親族が子どもに関わることが、非行や犯罪を防ぐ方向に働いているのでしょうか。
今の私には分かりません。
そもそも関係がないのかもしれません。
ただ、ワントクについて話を聞く中で生まれた疑問として、これからもう少し現地の人たちに話を聞いてみたいと思っています。
今回、最初に気になっていたのは、ワントクと働くことの関係でした。
話を聞いてみると、頼りすぎることを問題だと考える人がいる一方で、「自分は仕事を得られて幸運だったから、家族に分けたい」と考える人もいました。
さらに話を聞いていくと、その背景には、私が考えていたよりも広い「家族」の意識があることも分かりました。
ワントクについては、まだ分からないことも多くあります。
引き続き、いろいろな人に話を聞いてみようと思います。
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