2026/02/16 Mon
文化 生活
隊員Gのセントルシア日記_65 〜Community〜

街中でのルシアン達の言動が、明らかに日本人とは異なっています。まず、知人や友人の姿を見かけると、どんなに距離が離れていても、大声で互いの名前を呼びあうのです。ミニバスに乗車し移動中であっても、例外ではありません。車内は静かなパブリック・スペースなのですが、遠慮することなく、突然窓越しに、大きな声で相手の名前を叫ぶのです。大人であっても、子どもであっても。男性であっても、女性であっても。日本であれば、例えば、片側2車線の道路の向こう側の歩道を知人が歩いていたとしても、知らないふりを決め込んでしまうのではないでしょうか。
また、距離が近く、巷ですれ違ったりする場合、必ずと言って良いほど、男性はグー・タッチ(Fist Bump)をします。そして、その拳を胸に当てて、「I respect you.」と熱い台詞を決める場合もあります。中学生や高校生、あるいはスポーツ選手なら話はわかりやすいのですが、大の大人が真剣に拳と拳を合わせているのです。日本でも、新型コロナウィルス感染症がパンデミックとなったとき、握手の代わりとして、グー・タッチやエルボー・タッチが流行しました。しかし、セントルシアでは、ずっと以前からFist Bumpが交わされていたようです。感染症の影響によって、それまでの握手やハグでの挨拶の代わりとして、更に拳を合わせる習慣が広がりました。
そして、交わす言葉は、決まって「Are you OK?」です。「How are you?」ではなく、Yes、Noクエスチョンで尋ねられるので、正直、最初の頃は違和感がありました。「そんなに疲れてないんだけどなぁ」「くたびれて見えるのかなぁ」と思わずにはいられなかったのです。しかし、どうやら正解は「Thank you for asking. I’m OK!」のようです。OKか、OKでないか、ではなく、尋ねること自体に意味がありそうなのです。

これらのルシアンの言動は、他のカリブ諸国にも通じる習慣です。従って、これらの言動の謎を読み解く鍵は、やはり奴隷制度にあるのではないでしょうか。奴隷としてサトウキビのプランテーション農場で働かされていた時代、1日1日の重労働は、お互いに助けあったり、励ましあったり、健康状態を気遣いあったりしなければ、耐えることができなかったのではないでしょうか。もちろん、キリスト教の隣人愛の倫理が、人々の心の支えとなっていたことは間違いありません。だからこそ、大声で名前を呼びあったり、拳と拳を合わせたり、Are you OK?と声をかけあったりしたのではないか、と私は想像しているのです。奴隷解放後、人々は血縁ごとに小規模な農地をもち、ともに暮らし始めます。そして、労働や宗教行事や食事や子育てを協力して行う、相互扶助の文化を色濃くもつコミュニティーが形成されました。沖縄では王国時代の村落制度の中で、ユイマールという助け合いの精神が育ちました。「今日はあなたを助ける。明日は私が助けてもらう。」という文化で、農作業、家づくり、冠婚葬祭などにおいて、相互扶助が行われてきました。セントルシアにも同じように助け合いの文化が育ちましたが、歴史的背景として奴隷制度があったことを忘れてはならないのです。「あなたを認めていますよ。」「あなたを尊敬していますよ。」「あなたのことを心配していますよ。」というメッセージが、脈々と世代から世代へと受け継がれ、現在に至っているのです。

しかし、そんなセントルシアでも、「若者が挨拶をしなくなった」「こどもの遊びが変わった」という声をよく耳にします。ソーシャル・ネットワークや人工知能やオンラインゲームというテクノロジーの進歩によって、コミュニティーの相互扶助に頼らなくても、助けてくれる仲間やAIがすぐ傍にいるようになったからでしょう。インターネットやAIはとても有益なツールではあるのですが、使い方を誤ると、大切に育んできた文化が文明によって破壊されてしまいます。特に、セントルシア国民は、奴隷制度時代ゆかりのクレオール文化を復興する決心をしたのですから、価値観の醸成は今、力の入れどころなのです。
第57話で紹介したように、小さな村々では、隣人への奉仕の精神が、今もしっかりと息づいています。人口18万人の小さな宝島において、人々の熱狂の中で、それぞれのコミュニティーが本来の姿を取り戻すことを、心の底から願っています。人口1億2千万人の日本では、決して描くことのできない未来予想図です。羨ましい限りです。
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