2025/11/24 Mon
OJT生の活動日記
「この国で余生を過ごすということ」~OJT生の活動日記:第二弾~

「今日は何日ですか?」と聞かれて、スマホを見ないと答えられない自分。年を取ったら、真っ先に認知症になるかもしれないな…とふと思う。
どうもスリランカ事務所でOJT研修中の新人、大儀です。今日は、「高齢者介護」の隊員として派遣されている栗田さんと一緒に、2つの老人ホームを訪問してきました
最初に訪れたのは、キリスト教系の老人ホーム。庭には色とりどりの花が咲き、常駐のシスターがいて、壁には入居者を紹介するカラフルな掲示が並ぶ。クルネガラ県内でも、清潔で整った施設だそう。

栗田さんは今回が2度目の訪問。脳を活性化させるための質問タイムの後、ラジオ体操を一から教えることに。
音楽が流れれば自然と体が動くものだけど、動きを一つひとつ説明するとなると、意外と次の動きが分からない。そんな中でも栗田さんは慣れた様子で、全体を見渡しながら、一人ひとりがついてこられているかを確認し、笑顔で進めていく。
シンハラ語のクイズには参加できなくても、ラジオ体操なら参加できる!と、私も張り切って体を動かしてみた。自信満々で動く人もいれば、「自分にはできない」と困ったような笑顔で周囲を見渡す人もいる。そんな方には、栗田さんや社会福祉課の職員がすかさず手を取って教えていく。すると、次第に楽しそうに参加し始める。
これこそが、高齢者支援の難しさであり、大切な部分なのかもしれない。やりたくない人、やろうとしない人に対して、「自由参加だから」とそのままにすることもできる。でも、そこから一歩踏み込んで、「一緒にやってみよう」と促し、きっかけを作ること。それが、老人ホームで新しいアクティビティを導入する上での重要な要素なのだと思った。
栗田さんが目指しているのは、こうした活動を施設のスタッフ自身が継続できるようになること。「来てくれてありがとう」の先に、「来なくても続けられる」状態を目指している。その姿勢から、本当に相手のことを思っているからこそ、自分がいなくても続いてほしいと願っているのだと感じた。

次に訪れたのは、仏教系の老人ホーム。栗田さんの職場から最も近く、頻繁に訪れている場所だそう。
町中に近いため、買い物に出かける入居者もいる。これは良いことかもしれない。
スリランカでは、高齢者が一人暮らしをすることは一般的ではなく、元気であっても家族などの世話を受けられない場合はホームに入るのが普通らしい。だからこそ、比較的元気な方が多いのかもしれない。
庭も広く、風通しも良く、開放的な雰囲気。日本の老人ホームにも、こうした自然を感じられる空間がもっとあってもいいのではと思った。
一方で、「ここでは余生を過ごすのは難しいかもしれない」と感じたのは、衛生面。
仏教的な考えから、犬や猫のために地面に食べ物を置いていることが、ハエや悪臭の原因になっていた。キッチンや食堂にもハエが多く、生ごみもそのままバケツに入れられている。大雑把な私でも、ここで気持ちよく食事をするのは少しハードルが高いと感じた。
もちろん、エアコンはなく、年を取ってからこの暑さに耐えられるのかという課題もある。
スリランカで余生を過ごすには、まだまだ課題があると実感した。
価値観は人それぞれだけれど、自分自身が「この環境で不自由なく、幸せに暮らせる」と思える場所を意識して事業に関わっていくことが大切なのだと、今回の視察を通じて学んだ。
追伸:
栗田さんに教わりながら、入居者の皆さんと一緒に折り紙でチューリップ作りに挑戦。最後までどこがどうなって完成するのか分からなかったけれど、思った以上にチューリップの形に感動しました…!
やっぱり、人に何かを教えられること、喜ばせられるものを持っているって、すごいことですね。

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