2015/08/29 Sat
人
持たざる者
ブータンには身分制度はないが、それでも持てる者と持たざる者はいる。この国に一年と少し暮らし、日々、生徒をはじめとするブータン人とつきあう中で私が感じることだ。
前者は家柄が良く、きれいな家に住み、教育環境にも恵まれ、安定した仕事に就ける人たち。一概には括れないが、少なくとも彼らにはどこで教育を受けるか、どういった職業を選ぶか「選択肢」がある。後者は、それが無い人々。長く国を閉ざし、外国からの情報も制限してきたこの国では、両者の隔たりは意外と大きく、壁は高い。仏教思想の影響もあり、妬みのような感情を持たずにのんびりしているところはブータン人の良いところだが、その反面、野心や向上心が無いとも言える。この国民性は、勝ち負けを競い、そしてその結果を客観的に分析して自分の力を高めるというスポーツにおいては、かなり致命的だ。
聞いた話によると、ある陸上選手が実力を認められて学校の代表になったのに、他の生徒にその代表を譲ってしまった、ということがあったそうだ。
この写真に写っているのは、私が期待して育てている選手たち。実力は発展途上だけれども、立派なこの国のナショナルチームプレイヤーだ。ブータン人唯一のコーチ(私のカウンターパート)の息子もそのうちの一人。
厳格な父の下で育ち、類稀な運動能力を示して周囲の人を驚かす彼だが、反抗期を迎える前のまだ小さな頃から、家庭環境の影響で夜歩き(家出をして徘徊する)ことが多かったそうだ。あまりにもひどいので手がつけられず、父は彼を僧侶にして更生させようと、インドのシッキムというところのお寺に送ったが、そこも脱走。柔道を始めて年下の子たちの面倒も見るようになり、今は一時期よりは落ち着いたのだが、彼の腕には今も無数のタトゥーが残っている。タトゥーと言ってもプロが彫ったものではなく、彼が自ら体に刻んだもので、消えない落書きのような跡だ。
遊びたい盛りの年頃ということもあり、友だちと夜に出歩くことは未だにある。結果、朝起きれずに体調を崩し、柔道の練習も休む、私は彼を怒る、その繰り返し。
人口わずか75万人のこの国には、子どもたちが憧れる大人が少ない。スポーツで成功し、それで生計を立てている大人、そういう前例がないのだから、彼らはそういう夢も見ない。
しかし、南アジアの大会で活躍できる選手を育てること、そしていずれ彼らが柔道協会でコーチとして働いたり、事務をして生計が立てられるようブータンの柔道を大きくしていくことは、私の大きな目標だ。
柔道で少しでも彼らの世界を変えられたら。せめて子どもたちがそういう夢を持つことが出来たら。私がここにいた意味もきっとあるのだと思う。
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