JICA海外協力隊の世界日記

THE・1人任国 in ブルキナファソ!

バカンスのぼやき

こんにちは。

はじめまして、ブルキナファソ・小学校教育隊員の市川瑛子(ようこ)です。

2014年7月から派遣され、無事に2年の任期を終えましたが、

1年の延長をお許しいただき、ブルキナの地を踏み続けています。

さて、2年間もブルキナで生活をしていると、

ひょんなところでその生活が垣間見え、染みついていることが、

日本に一時帰国した際に分かりました。

恥ずかしいのですが、そんなエピソードを紹介しながら、

自己紹介とさせて頂こうと思います。

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 1か月の休暇を頂いて、日本に行っていた。日本に帰るとまるで、ブルキナにいた2年間が夢だったのか?と思うほど、当たり前に日本にいたような気分になった。しかし、確かに私がブルキナにいたという事実は、次々に私のあほな行動によって明らかになった。

 

 日本の自宅の最寄駅に着いて、携帯がないので公衆電話を探そうと思い、インフォメーションに着いた私は公衆電話という言葉が出てこず、「デンワ、オカネイレル、サガシテル」とカタコトの日本語を発していた。ぼさぼさ頭に汚い服に汚いビーサン、ラップでまかれたスーツケース2個(1個は破れていて、かつ木彫りの仮面が飛び出している)という格好の私を見たインフォメーションのおじいちゃんおばあちゃんは、「あっちよ!あっち!」とおおげさな身振りで、その場所を教えてくれた。「デンワ、オカネイレル、サガシテル」って、、、普段私はこんなフランス語のしゃべり方をしているのだろうと思った。

 

自宅に着き、スーツケースだけは家の中に入れてもらえず、玄関先で荷物整理。ダペロゴの我が家のネズミのおしっこがふんだんにかかった布製のスーツケースは、速攻捨てられた。

 

自転車に乗れば、自分の想像よりブレーキが効きすぎるために、予想外の急ブレーキに「きゃーっ」と声を出し、1人で交通事故ごっこ。(ブルキナで愛用中の自転車のブレーキは、思い切りぎゅっと握らないと効かないのだ。)

 

コンビニなどで予想外のものを発見した時、「きぇ!」という声を自然に発していた。そして、それは周囲の静けさと視線で気づく。母曰く、道でもどこでも突然大声を出していたらしい。心の声が出てしまっていたとか。

 

雨が降ってきた時は出かけない。ブルキナでは雨が降ったら大体スコールで、出かけるのを諦める。さらに残念なことに、傘を使用するという概念が私の中から消えてしまったのだ。

他にも、約束の時間に2時間遅刻。音楽が鳴ってれば自然に体が動いてしまう。鳥の手羽先を食べていたら、骨まで軟らかくて、ぼりぼり食べてしまった。

 などなどの残念?な出来事が、ああ、やっぱり私日本じゃなくて、ブルキナに住んでいたんだなと思い出させてくれた。

 でも、一番ブルキナに自分がいたことを感じたのは、自分の中で物事に対する「サバアレ」感がとても大きくなっていたこと。

サバアレ感:大抵のことは、なんとかなるさ、なるようになるさと受け流し、とにかく余計なことは考えなくなるブルキナ経験者にはよくある現象。(だと思う。)

 

とかく、考えすぎて勝手に悩んでしまうようなことが多かった私だが、この2年間で、物事に対する構え方が変わっていた。

 このサバアレ感、良いのか悪いのか分からないが、自分にとってとても大事なものな気がする。

 しかし、よくある「ブルキナの2年間は私にとって○○でした。」の○○が、日本に帰ってみてもまだよくわからない。

 1年目、新鮮なブルキナ生活をただただ楽しんで、2年目、ブルキナの生活が当たり前になって、サバアレ感が身に付いた。3年目、何か新たな価値観が自分の中で生まれるのだろうか。

 まあ、なんでもいいけど、夢だったっけ?とは言えないくらい、ブルキナ生活の存在感を私の中で確立させてあげたい。

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私が派遣されてから2年の間にブルキナは歴史的な出来事が多々ありました。

そんな話も盛り込みつつ、ブログ更新していきたいと思います。

1年間、よろしくお願い致します。


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