JICA海外協力隊の世界日記

ルワンダかけはし通信~ブホロ ブホロ

ルワンダの4月~ジェノサイド追悼週間

雨季に入り、朝の出勤時間帯に霧が立ち込めるようになりました。

今回は4月のジェノサイド追悼週間について紹介します。

■ジェノサイドメモリアルデーと追悼週間

1994年4月7日はルワンダ国民にとって忘れられない日です。この日にルワンダでジェノサイドが発生し約100日間続きました。

4月7日はジェノサイドメモリアルデーです。当日は終日ラジオやTVでジェノサイドに関する番組が放送されています。ここから1週間はジェノサイド追悼週間になり、全国で追悼式典が開催されます。

【写真①:郡庁のゲートの横断幕。中央の数字の『24』が『24年目』を示す。このような横断幕がジェノサイド追悼期間中(場所によっては通年)掲げられる】

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今年で24年目になります。近年では大分落ち着いた雰囲気になってきましたが、ジェノサイド直後は毎年4月になると全国民が当時を思い出し打ちひしがれていたそうです。今でも特に4月になると、被害に遭った人々やその家族は当時のフラッシュバックが起きて動転したり、ずっと泣き伏して過ごしたりする人もいるそうです。

ルワンダ各地にはジェノサイド追悼の墓石や石碑があり、特に4月には多くの献花がなされています。

【写真②:教会にある墓石や石碑】

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私は昨年のこの時期を首都キガリで過ごしていた為(=赴任直前の語学研修期間)、ジェノサイド追悼週間を地方で過ごすのは今年が初めてでした。キガリは比較的落ち着いていたのですが、配属先の郡庁やルワマガナの人々の様子が分からず、今年は少し緊張しながら4月を過ごしていました。

そんな中、郡庁の近隣の地域で郡庁メンバー摸参加するジェノサイド追悼式典があり、同僚と一緒に行ってきました。

■ジェノサイド追悼式典に参加

当日の朝、定例会議が終わり自席でデスクワークをしていると、「トモコ、これから近くのセクターでジェノサイド追悼式典があるよ。バスが来ているから一緒に行こう」と同僚が声を掛けてくれました。

チャーターしたバスが郡庁前に停まっており、メンバーで同乗して移動。車内は特に重苦しい雰囲気でもなく、いつもと変わらずおしゃべりをしながら会場まで移動。

【写真③:バスで山間の会場まで】

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開催場所はMuyumbuセクター(※)というところでした。ここはジェノサイド追悼の石碑がある大きな広場があり、ここにテントが張られて式典会場となっていました。我々が到着した時には既に多くの車が停まっていました。

※セクター:郡(=ディストリクト)の一つ下の行政単位。町、区のようなイメージ。

【写真④:式典会場前】

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この日は朝雨だったという事もあり、また遠方からも集まっていた様で、式典が始まってからも続々と参列者が集まり、最終的には多くの人々が会場をぐるりと取り囲むようになっていました。郡庁の役職者も参列していました。

【写真⑤:会場に集まる人々】

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式典は司会者の進行で進められました。各地域の名士や遺族の代表者達が前に出て、それぞれ追悼の辞を述べています。長い人で1時間以上話している人もいました。キニアルワンダ語だったので詳細は分かりませんが、どうやら当時の状況を描写している様でした。TVカメラも取材に来ていたので、式典の様子は放映されていたようです。

【写真⑥&トップページ:追悼の辞】

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また、他の行事ではなかったことですが、救急車も待機しており、看護師らしき人々が会場の人々の様子を見ながら気分が悪そうな人に水を差し入れたりしていました。ジェノサイドの式典では当時がフラッシュバックし取り乱す人もいる為待機している様でした。

歌手のような人が前に出て追悼歌をみんなで歌っていました(これは追悼週間中ラジオでよく耳にしたジェノサイドを悼む曲でした)。

その後、会場中央に置かれていた棺に献花がなされました。

【写真⑦:棺に献花】

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最後に献花と一緒に棺を石碑の方に納める為、人々が石碑の周りに集まりました。遺族が優先して石碑の前に集まる為、私は遠くの方からお祈りです。

【写真⑧:石碑の周りに集まる】

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この時、一人の女性が泣き崩れ、看護師に両脇を抱えられながら運ばれて行きました。当時を思い出しこらえ切れなかったようです。

同僚に聞いたところ、このMuyumbuセクターダだけで14,000人もの犠牲者があったそうです。

式典は形式が整えられており、終始穏やかで和やかな雰囲気で進められ、集まった人々も変わらず挨拶を交わしたりしていました。24年が経過し、少しずつ落ち着いてきたように見受けられます。しかし、その心の中にはまだまだ深い思いがあるようです。

【写真⑨:今はのどかなMuyumbuセクター】

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ルワンダでは、ジェノサイドの惨事を乗り越える為に様々な政策が懸命に執られています。しかし、表からは心の中が見えないだけに、癒すにはかなりの時間を要するものだと感じました。

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