JICA海外協力隊の世界日記

ベナン人、はじめました。

ベナンで浴衣を作るきっかけをくれた親子の話。

ベナンで浴衣を作ろうと思ったきっかけとなった親子の話しをしたいと思います。

写真上の彼女は、仕立て屋さんです。

しかし、仕立ての仕事はしていません。

なぜなら、ミシンを持っていないからです。

彼女の息子のメメです。
もうすぐ3歳の男の子です。

出会ってすぐは、肌の色の違いのせいで私を怖がり泣いてばかりでした。
しかし今は、遠くからでも私を見つけると走って駆け寄ってくれたり、私の家までついてきてなかなか帰ろうとしなかったりと、最初泣かれてた分、こんなに懐いてくれたメメがとっても可愛くて仕方ないです。

そんなある日、メメのお母さんに
『メメの分のお昼ご飯ちょうだい』
と言われたことがありました。

ベナン人は、『お金ちょうだい』とか『物ちょうだい』と言ってくることがあります。最初は言われるたびに、どうしようかと思っていましたが、ベナン生活が 長くなってくると、お金や物が本当に欲しいのではなく、それは彼らにとって”挨拶”みたいなものだということが分かってきました。

なので、メメのお母さんに言われた一言も特に深くは考えず、私はいつものように流してしまっていたのです。


しかし、後日、他の人からメメにはお父さんがいないということを聞きました。

お母さんがメメをお腹に授かったあとにどこかに行ってしまったようで、メメはお父さんに会ったこともないといいます。

その話しを聞いたあとは、男性を指差して『パパ!』と言っているメメを見る度にどうしようもなく心が痛みます。


メメ親子は知り合いの家の小さな一室に住まわせてもらっています。
お父さんがいないので、決まった収入はありません。売り子をするにも、売るものを買うまとまったお金がないので、できません。
毎日のご飯は、友人たちから分けてもらっているか、小銭をもらっています。

しかし、友人たちも決して裕福な家庭ではありません。今後もずっと、ご飯やお金をあげることを続けるのは正直厳しいと話してくれました。

普段、とっても明るい親子なので、他の人から話しを聞くまで彼ら親子の家庭環境など、これっぽっちも知りませんでした。

メメはもうすぐ、幼稚園に入れる年齢になります。
そのあとは小学校に入る年齢にもなります。
ベナンの公立小学校は、学費こそ2005年から無料になりましたが、制服・教科書・ノートなどは、自分で用意しなくてはなりません。

また、メメは月に1度くらいのペースで体調を崩しています。これを書いている今日もまさにメメはぐったりしていました。周りの人に恵んでもらったわずかなご飯やお金では、栄養が十分にとれていないのだと思います...


もし今のままのメメ親子の状態が続いたら…

メメは学校に行けないかもしれません。
栄養不足で、大きな病気になってしまうかもしれません。
病気になっても、病院に行けないかもしれません。

大好きなメメ親子のそんな姿、私は絶対に見たくありません。


ミシンがあれば、仕立ての免許を持つメメのお母さんは仕事ができるようになります。
周りの援助も必要なくなります。
メメも今後みんなと同じように学校にも行けるようになります。

メメ親子は、お金こそないものの、私が体調不良のときは家まで様子を見に来てくれる優しさや、家庭の事情を一切想像させない明るさやたくましさ、周りの人から好かれる人懐っこさなど、良いものをたくさん持っています。

”この笑顔のまま、これからも過ごしていってほしい”

その想いが、『ベナンで浴衣を制作しよう!』と、ここアフリカで、日本とベナンを繋げるための一歩踏み出す勇気となったのです。

メメのために。

メメのお母さんのために。

この活動が上手くいくよう、頑張る毎日です。

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