JICA海外協力隊の世界日記

ブラジルピンダのこんちゃん日記

2. ブラジルの日本人会って?

BOA TARDE! ボア・タルジ!(こんにちは!)

日本はやっと梅雨が明けて一気に夏本番というところでしょうか?
南半球にあるブラジルは、日本と真逆で今は冬なんです。
でも冬と言っても、私の住んでいる地域は、昼間は半袖、
朝晩はちょっと上着がほしい、、、そんな感じの冬です。

ということで、7月は冬休みでした。しかも1ヶ月間と長いんです。
今週から久しぶりの学校が始まりますが、
生徒たちは勉強したことをどれだけ覚えているのでしょうか…?(笑)


さて、前回の記事
私の配属先は「ピンダ日伯文化体育協会」だと言いました。

「日伯文化体育協会」とは??

…今から111年前。
日本は日露戦争後の影響で不景気になり、人々の職がなく、農村も貧困化していました。そこで日本政府は、国策としてブラジルへの移民を推奨するようになり、多くの日本人が職や富を求めてブラジルへ移住しました。
*このような永住を目的に海外で生活する日本人や、その子孫の方々が
「日系人」と呼ばれています。現在、ブラジルには約190万人もの日系人が生活されていて、ブラジルは、世界で一番多くの日系人が生活している国なんです。


こうして、かつて日本から移住してきた人たちは、異国であるブラジルで生活する一方で、これからも日本文化を守り、日本人で協力して生きていくためにブラジル各地の移住地で「日本人会」を結成しました。

そのうちの1つが、私の所属先である
「ピンダ日伯文化体育協会」です。

名前は堅い感じですが、日系人の方々は「日本人会」と呼んでいます。

昔は運動部のようなものがあったので「文化体育協会」だとのこと。
ちなみに今のピンダの日本人会には、唯一「婦人会」が残っています。
そして、日本人会の会員は、今では日系一世の方は少なく、二世、三世、四世の方がほとんどです。

*上の写真は、当時、日本人会の集会所「会館」を作るための寄付を納めてくれた人たちの名前です。中にはブラジル人らしき名前も。
これを見ると、日本人会がどれだけたくさんの人の協力によって結成されたものなのかがよくわかります。

ブラジルの言語はというと、ポルトガル語。
日系人同士の会話は、ほとんどポルトガル語中心です。
たまにポルトガル語と日本語が混ざった「コロニア語」。
ですが、二世の方々は小さい頃から家族と日本語で話していた方が多く、日本語がとても上手です。
正直、地球の裏側でこんなに日本語が通じるとは思っていなかったので
活動する上でとても助かっています。


さて、少し長くなってしまいましたが、
今回は日系社会のこと、私の配属先について簡単にご紹介しました。
次回は、活動先の日本語学校をご紹介しようかなと思っています♪
皆さんの想像されている学校とは ”ちょっと” 違うかもしれません。

では、次回もお楽しみに!!

ATÉ MAIS! アテ・マイス!(では、また!)

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