JICA海外協力隊の世界日記

ミクロネシア便り

戦跡が残るチューク

かつてのトラック諸島

私が活動しているミクロネシア連邦のチューク諸島は、かつて「トラック諸島」あるいは「トラック島」と呼ばれていました。1914年から1945年までの約30年間にわたり日本が統治し、1940年ごろからは南洋における日本海軍の一大拠点として発展していきました。のちには、戦艦「大和」や「武蔵」をはじめとする主要艦艇が停泊する連合艦隊の重要拠点となった場所です。

海軍の拠点となる以前、第一次世界大戦を経てミクロネシア地域が日本の委任統治領となって以降、日本からの移民が急増しました。1920年代半ばにはすでに数千人規模の日本人が各島に渡り、近海でのカツオ漁や鰹節製造、農業や貿易などに従事して生活の基盤を築いていきました。

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日本人街

行政の中心地となった夏島(現トノアス島)には、南洋庁の支庁や学校、公立病院だけでなく、商店やカフェ、新聞社、バス会社、大日本航空の支店、大手建設会社の営業所などが立ち並びました。さらに、居酒屋や料亭、神社、教会、映画館、写真館、印鑑店、寿司屋、歯科医院、銭湯、呉服店に至るまで、生活や娯楽を支えるあらゆる施設が揃い、本格的な日本人の町が作られていたのです。

その後、太平洋戦争の激化に伴い、1942年8月には夏島沖に連合艦隊司令部が進出しました。島には司令部をはじめ、飛行場、通信基地、燃料庫、食糧庫、桟橋、海軍病院などが相次いで整備され、最盛期には軍人と民間人を合わせて数万人の日本人がこの地域に滞在することとなりました。317414_0.jpg

トラック大空襲

しかし、1944年2月と4月の米軍による大規模な空襲により、これらの施設や街並みは壊滅しました。特に2月17日からの2日間にわたるトラック島空襲では、残留していた輸送船など多数の船舶が沈没し、航空機もほぼ全滅、数千人を超える尊い人命が失われました。これにより基地機能は失われ、その後は補給を絶たれた島で過酷な自給自足と孤立状態を余儀なくされたのです。

私の勤務するザビエル高校

本校は、元日本海軍の通信基地でした。近くの山頂には東京との通信も兼ねていた灯台もあります。校舎の壁や屋上には今でも機銃掃射の弾痕があります。灯台にも数多くの弾痕があります。その当時の攻撃の様子を垣間見ることができます。

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夏島(トノアス島)の訪問

私は昨年、こうした歴史の痕跡が眠る夏島(トノアス島)を訪れました。トラック大空襲以来、途絶えていた電気が昨年、80年ぶりにようやく復旧したとのことです。かつて賑やかな町が広がっていた場所は、今では豊かな木々や草に深く覆われ、当時の面影はほとんど残っていません。草むらの中にひっそりと横たわる病院跡や司令部跡の土台だけが、わずかに往時の記憶を伝えていました。

カイジョ

終戦のことを、チュークでは「カイジョ」と言うそうです。武装解除です。「カイジョ」によって、捨てられた航空機用の魚雷がたくさん海岸にありました。日本軍が使っていた車両も朽ち果てて放置されていました。

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水上機基地の通信センター・管制塔の跡です。現在は住居として使われていました。こういうところを見学してもお金を徴収されます。

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民家の居住空間にあるトーチカです。子どもらの遊び場になっていました。

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今は木々で覆われた通信センター跡です。空爆で天井が崩壊しています。

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チュークではありませんが、ポンペイにある戦車と高射砲です。

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チュークの海にはトラック大空襲で沈んだ船が40隻以上残っていて、もう80年以上海底に眠ったままです。今では沈船好きのダイバーが世界中から集まってきています。

現在、船の腐食・劣化がすすみ、油漏れによって環境に悪影響を与える危険性があるため、JMAS(ジェイマス)の人が油を回収したり、油流出のリスクを軽減する活動を行っています。JMASの正式名称は、「日本地雷処理を支援する会(Japan Mine Action Service: JMAS)」といい、カンボジアなどに放置されている地雷や不発弾の処理を元自衛官がボランティアで行ったのが始まりで、この名前がついています。今は、地雷・不発弾処理だけではなく、チュークの海を油から守る活動にまで範囲を広げています。現在、チュークで活動しているJMASの人は5人で、週3回回収作業を行い、また地元の人たちに技術移転のための教育活動も行っています。

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日本と世界を繋ぐ平和の架け橋

わたしたちJICAボランティアは、「人と人との信頼関係を育むことで、平和の芽を現場から育てる運動」として重要な役割を果たしています。現在、世界ではウクライナや中東での戦争、気候変動による資源争いや食糧問題など、明るい未来が見通せる状況ではありません。人と人とを結びつけ、信頼を勝ち取る私たちの活動がますます重要になってきてるように思えます。

この美しい地球と生活を守っていきたい。

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