JICA海外協力隊の世界日記

モザンビーク便り

ポルトガル語から見えるモザンビーク

モザンビークの公用語はポルトガル語です。
ポルトガル語を話している私は、日本語を話している私より、声が大きくて、少し厚かましく、遠慮がなくなる気がします。
言葉が変わると、性格まで少し変わる。
そんな不思議な感覚があります。

言葉に合わせて、自分も変わる

モザンビークでは、すれ違う人と挨拶を交わすのが当たり前です。
知り合いに会うと、挨拶代わりに
"Vai para onde?"(どこ行くの?)
"Vem de onde?"(どこから来たの?)
と聞かれます。
日本人的な感覚だと、「毎回そんなにプライベートなことを聞かなくても…」と思うこともありました。
でも、これは彼らにとって日常の挨拶の一部なのだと分かってきました。
今では私も、道で知り合いに会うと自然と聞いています(笑)。

また、話しかけるきっかけとして、
"Estou a pedir...!"(〇〇ちょうだい!)
と、そのとき私が持っているものを指さして言われることもよくあります。
最初は少し戸惑ったり、ネガティブに受け取ってしまうこともありましたが、慣れてくると「親しみを込めたコミュニケーション」のようなものなのだと分かるようになりました。

買い物では、
"Quanto é?"(いくら?)
"Dá-me..."(〇〇ちょうだい)
という表現をよく耳にします。
日本語に直訳すると少し命令口調にも聞こえますが、こちらではごく自然な言い方です。

人を呼ぶときやバスを止めるときには、
"Mana!"(お姉さん!)
"Motorista!"(運転手さん!)
"Chefe!"(ボス!)
"Oi!"(おーい!)
と大きな声で呼びます。

日本語なら少し遠慮する場面でも、ポルトガル語ではストレートに伝えないと相手に届きません。
だから、モザンポルトガル語を話している私は、日本語を話す私よりも、声が大きく、よりストレートで時にはぶっきらぼうにも聞こえるような話し方になっている気がします。

表現から見るその国らしさ

モザンビークでは、親戚ではない人同士でも家族の呼び名で呼び合うことがあります。
知り合いを紹介されると、
「この子は私の Primo(いとこ)なんだ。」
「Neto(孫)だよ。」
「Sobrinho(甥っ子)だよ。」
という言葉が飛び交い、最初は「え、みんな親戚なの?」と思っていました。
でも実際には血縁関係はありません。
血がつながっていなくても家族の呼び名で呼び合うところに、他人も「身内」として迎え入れるような感覚が表れているのかもしれないと感じています。
ちなみに、よく行く任地のマーケットのおばちゃんは、私のことを「Filha(娘)」と呼んでくれます。

また、ポルトガル語でよく使う印象深い表現についていくつか紹介します。

Bom descanso.
直訳すると「良い休息を」。
日本語の「ゆっくり休んでね」に近い表現ですが、仕事終わりなどに自然に使われます。
「休むこと」そのものを大切にし、楽しんでいるように感じられて、この言葉が好きです。

Bom trabalho.
直訳すると「良い仕事を」。
朝や仕事の前・仕事中によく言われます。
日本では仕事中や仕事のあとに「お疲れさま」と声を掛けることが多いですが、モザンビークでは「良い仕事を」と、これから始まる時間に向けて言葉を掛けるところが印象的です。

そして、もう一つ印象に残っているのが、

Já passou.
直訳すると「もう過ぎたよ」「もう終わったことだよ」。
失敗したときや落ち込んでいるときによく言われます。
日本では、「反省しよう」「次は気を付けよう」と過去を振り返ることが多いように思います。
一方、モザンビークでは、「もう終わったことだよ。」と、気持ちを切り替える言葉として使われます。
最初は少し無責任にも聞こえました(笑)。
でも、モザンビークで暮らすうちに、この言葉の背景には、この国で暮らしてきた人たちのたくましさがあるように感じるようになりました。
いくら頑張っても思いどおりにならないことが少なくない暮らしの中で、過ぎたことをいつまでも引きずるより、「もう終わったこと」と受け止めて前を向く。
そんな生き方が、この言葉には表れているような気がします。

同じように、
"Vai passar."(そのうち良くなるよ。)
"Vai dar certo."(なんとかなるよ。)
"Vai conseguir."(きっとうまくいくよ。)
という言葉も、よく耳にします。
この国では、病気になってもすぐ病院へ行けるとは限りません。
薬がすぐ手に入るわけでもありません。
停電や断水、予定変更も日常です。
だからこそ、「いつか良くなる」「きっと大丈夫」と信じて待つこと、気にし過ぎず前へ進むことが、この国で暮らすための知恵でもあるのかもしれない。
そんなことを、日常で交わされる言葉から感じています。

言葉は世界の切り取り方

モザンビークで魚料理を注文すると、メニューにはシンプルに
Peixe(魚)
と書かれていることがあります。

最初は「何の魚?」と聞きたくなっていました。
実際に聞いてみても、
「赤い魚」
「川の魚」
という答えが返ってくることも多く(笑)。

日本では、アジ、サバ、タイ、カツオなど魚を細かく呼び分けることが当たり前だった私には、「魚」とひとまとめにされることに少し違和感がありました。

一方で、モザンビークで驚いたのは植物です。
マンゴーの木は mangueira、
カシューナッツの木は cajueiro、
オレンジの木は laranjeira。
と呼びます。木の名前がそのままバス停の名前になっていることもあります。


さらに、野菜の葉にもそれぞれ名前があります。
キャッサバの葉は matapa、
かぼちゃの葉は mboa/matsao、
豆の葉は nhangana、
サツマイモの葉は madledlele
(※ 葉の呼び方は、私の活動地域であるモザンビーク南部(マプト州)で使われているシャンガナ語の表現です。なお、matapa は一般的にはキャッサバの葉を使った料理名としても広く使われています。)
それぞれ別の食材として扱われています。
私にとっては、どれも「木」であり、どれも「野菜の葉っぱ」です。

このように、その土地で使われる言葉を見ていると、その土地の人たちが世界をどう切り分け、何を身近なものとして暮らしているのかが垣間見えることがあります。
どちらの言葉が豊かということではありません。
それぞれの暮らしの中で身近であり、大切にしてきたものに、自然と名前がついていくのでしょう。
言葉は、その土地の暮らしや歴史を色濃く映し出すものなのだと実感します。

おわりに・・・

ポルトガル語を学ぶ中で、語彙が増えただけではなく、この国の人たちが何を大切にし、何を当たり前だと思って暮らしているのかを、少しずつ知ることができました。
話す言葉が変わると、人との距離の取り方も、物事の考え方も少しずつ変わっていくような気がします。
新しい言語を身につけることは、新しい世界の見方に出会うこと。
それが、モザンビークでポルトガル語を学んでいて、私が一番面白いと感じていることです。

SHARE

最新記事一覧

JICA海外協力隊サイト関連コンテンツ

  • 協力隊が挑む世界の課題

    隊員の現地での活動をご紹介します

  • JICA 海外協力隊の人とシゴト

    現地の活動・帰国後のキャリアをご紹介します

  • 世界へはばたけ!マンガで知る青年海外協力隊

    マンガで隊員の活動をご紹介します

TOPへ