2026/09/14 Mon
松井康朗|モザンビークから見える日本
モザンビークに来て、一年。

はじめまして。ご覧いただきまして、ありがとうございます。
私の名前は、松井 康朗(まつい やすろう)と申します。
私は、『JICA』と『国立大学法人 鳴門教育大学』との連携派遣による『JICA海外協力隊』として、モザンビークのマトラにある、『初等教員養成校(IFP Matola)附属小学校』を拠点に活動しています。
おかげさまで、モザンビークに来て一年が経ちました。
この一年、私は小学校の教育現場で子どもたちと過ごし、先生方とともに、算数教育や学校環境の質の向上に取り組んでいます。赴任した当初、私の頭にあったのは、「どのような課題があり、どうすればより良くできるのだろうか」ということでした。
実際に子どもたちと向き合い始めると、思いがけないものに心を動かされました。それは、子どもたちの素直で、純粋な姿です。こちらの言葉を一生懸命に理解しようとする姿や、屈託のない笑顔や態度で走って抱き着いて来る姿、目の前のことに夢中になりすぎて、我を忘れる姿。言い出せばたくさん出てきます。
その姿に触れるたび、ふと考えることがあります。
こうした清らかで素直な姿をこれから先にも残していきたいと。教育の経験を共有するという立場でここに来たはずなのに、いつしか私は、子どもたちから何かを教えてもらっているような感覚を抱くようになりました。
そして、日本から来た私には、授業の進め方や学校生活の中に、気になることがいくつかありました。しかし、それらを教育課題と捉えることは、決して簡単なことではありませんでした。
なぜなら、それらは、そこで暮らす人々にとって、必ずしも課題として認識されているわけではなかったからです。長い時間をかけて形づくられてきた文化や習慣、学校のあり方の中で、それらは一つの当たり前として、すでに成り立っていたのです。そのことに気づいたとき、教育において経験を共有するとは、一体どういうことなのだろうかと、考えるようになりました。
日本の経験をそのまま持ち込めばよいわけではありません。
モザンビークの現実を知れば知るほど、日本が長い時間をかけて培ってきた教育や社会の中にも、改めて考え直す価値があるものに気づかされます。そして、モザンビークを知ろうとしてここに来た私は、いつしかモザンビークと日本を考えるようになっていました。日本にいるときには見えなかったものが、日本の外に出ることで見えてきて、当たり前だと思っていたことが、そうではなかったことに気づかされています。
この一年は、私にとって「モザンビークを知る一年」であると同時に、「日本を考える一年」でもありました。
この「世界日記」では、モザンビークの教育現場で感じたことをはじめ、社会や文化、経済、そしてこれからの世界について、私が知らないことのほうが多いとは思いますが、私自身が考えたことを綴っていきたいと思います。
答えを出すことはできなくても、現地で見て、聞いて、感じたことを手がかりに、一つずつ丁寧に共有させていただけたらと思っています。
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