JICA海外協力隊の世界日記

フィリピン便り

日本からフィリピンへの移民

フィリピン防災・災害対策隊員のYamamotoです。
ルソン島ラ・トリニダッド町役場で、子供たちに災害についておしえています。
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カミムラボティカ 
※BOTIKA(タガログ語)は薬局という意味

ベンゲット州ラ・トリニダッドではこのような日本の姓を使ったお店がいくつかあります。(写真上)

そしてこれらのお店は日系人の方々が運営しています。

なぜこの町に日系人の方々が住んでいるのか、その理由を知るには約120年前までさかのぼります。

1903年 約1500人が日本人移民としてフィリピンに来て道路工事に従事しました。

多くの犠牲者を出しながらも完遂、その道路の最終地点がベンゲット州です。

道路建設後も現地に住み続けた日本人が商業や農業でビジネスを展開。

彼らは町の発展に寄与し、フィリピン人に受け入れられながら日本人社会を形成していきました。

一時は日本人学校が建立されたほどです。しかしその後の第2次世界大戦では立場が一転、

敵国の子孫だということで土地や財産を奪われ、教育機会も失いながらも戦後を生き抜いてきました。

赴任から1年が経過しましたがまだまだ知らないことばかり、

歴史を学ぶといつも見ている風景も違って見えて、新たな発見となります。

この【 リサイクル ショッピ 】も日系人の方のお店かと思いましたが

違いました。

ご一読いただきありがとうございました。

【 Yamamoto/防災・災害対策 】

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