2026/09/11 Fri
文化 食べ物
隊員Gのセントルシア日記_98 〜Seeds〜

グアバという果実をご存知でしょうか。日本でもグアバジュースとして販売されていますので、名前をご存知の方は、数多くおられるかもしれませんね。しかし、実際に果実を食べたことがあるという人は、少ないのではないでしょうか。カリブ海地域の原産で、現在は世界中の熱帯や亜熱帯の地域で栽培されています。ところが、セントルシアでは、栽培するというよりは、ココナッツ、マンゴー、バナナなどと同じく、敷地内の庭に自生している果樹という位置づけなのです。従って、配属先のカレッジの同僚たちも、グアバの果実を気軽にカバンの中に忍ばせ、リフレッシュしたいときに味わっている様です。私も、同僚の1人から勧められて、食べたことがありますが、果肉には硬い種が敷き詰められています。スイカの種であれば、必ず吐き出すところです。しかし、グアバは果実自体がピンポン玉くらいの大きさしかないにも関わらず、種がびっしりと詰まっています。もし、一つ一つの種を食べずに吐き出すとなると、途方もない時間をかけないと食べ終われないことになります。それはもう、リフレッシュにはならず、食べるだけでストレスが溜まってしまうことでしょう。でも、ご安心ください。勧めてくれた同僚も「グアバの実は食べても大丈夫だよ。」と言い添えてくれました。鳥の排泄物を思い浮かべて頂くと、わかりやすいと思います。消化されずにそのまま体外に出るだけなのです。(虫垂炎になる心配もありませんよ。)もうお気づきだと思いますが、グアバが生命の満ちあふれた熱帯で生き残るための、進化の形なのでしょう。動物が果実を食べ、移動し、種を体外に排泄する活動に、子孫繁栄の夢を託しているのかもしれませんね。

さて、セントルシアのキュウリ(Cucumber)は瓜型をしており、日本のキュウリとは少し体型が異なります。しかし、生食が可能ですので、とても重宝しています。特に、キュウリの塩揉みは、遠く離れた郷里で味わうものと、ほとんど変わりがありません。思わず幸せな気持ちになってしまう、というものです。ところが、です。一度、JICAセントルシア支所のボランティア調整員(VC)さんのご自宅で、他の隊員仲間と共に食事を頂いたことがありました。その際、生食キュウリが付け合わせとして出たのですが、なんと種の部分が切り取られているではありませんか。もちろん、私も、普通の瓜であれば、種の部分は捨ててしまいます。しかし、配属先のカレッジのレストランでも、サラダのキュウリは、皮が剥かれていたとしても、種の部分が切り取られることはありません。私は、思わず隊員仲間に、「キュウリの種の部分は、捨てているの?」と尋ねてしまいました。すると、どの隊員も、種の部分は取り去っていたのです。私は、少なからずショックを受けました、でも、それまで慎重に積み重ねてきた人間関係を崩したくはなかったので、それ以上の議論を続けることはしませんでした。もちろん、日本のキュウリは、品種が選別され、種の小さなものが栽培、収穫されて、流通しています。セントルシアの瓜型キュウリは、種も大きなままで、野生味たっぷりなのですが、私にとっては愛すべき存在であるのです。

最後に、バナナの種の話です。現在の食用バナナに種はありません。果肉をよく見ると、黒っぽい種の痕跡の様なものがあります。種子が正常に育ちませんので、株分け等によって、同じ遺伝的性質のバナナを増やしているとのことです。野生のバナナには、硬い種があるのですが、食用には適しません。人類が、長い年月をかけて、種のより小さな、甘いバナナを選んで、株分けしていったのでしょうね。種子による子孫繁栄の夢を絶たれ、クローン増殖を繰り返すバナナは、一体どんな気持ちなのでしょうか。第12話では、プランティンという調理用バナナのお話をしました。こちらの方は、野生バナナの中で、よりデンプン質が多く、料理に適したものが選抜されて、株分けが繰り返されたと言います。なんとも、不思議な運命の分かれ道ですね。
品種改良や遺伝子の技術革新が進むと、数十年の歳月が流れたある日、セントルシアの人々は、種の小さなグアバや、種の痕跡だけが残る瓜型キュウリを食べているのでしょうか。固有の食文化が文明に飲み込まれる姿は、あまり目にしたくありませんよ。
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