2026/01/22 Thu
文化 生活
隊員Gのセントルシア日記_61 〜Beautiful Caribbean Fabric〜

セントルシア文化は、様々な文化によって織り成された、美しい織物のようです。誤解を恐れることなく形容するならば、縦糸にイギリス文化とフランス文化、横糸に西アフリカ文化とインド文化が使われて、きれいなカリブ織物ができあがったように見えるのです。
まず、言語は、公用語としての英語と、フランス語系のクレオールの二重構造となっています。例えば、「Gros Islet」や「Glace」など、日本人はどうしても英語読みしたくなりますが、注意してフランス語読みしなければいけません。プライマリー・スクールやセカンダリー・スクールにおいて、外国語がフランス語とスペイン語の選択授業となっているところでは、やはりフランス語履修者が多いとのことです。イギリス国王チャールズ3世を国家元首とする英連邦王国の一員でありながらも、フランス文化への敬慕は深いようですね。これには、いくつか理由が考えられます。何と言っても、やはりクレオール文化復興の動きが最も大きいのではないでしょうか。クレオール文化を自らのアイデンティティーとする道を選んだのですから、大英断です。また、フランス統治時代に制度化されたローマ・カトリックのキリスト教の影響も大きいと思われます。新しい宗教が入り込んできたために、今でこそ信者は全国民の約60%に留まっていますが、ひと昔前までは95%にも上りました。当時の大聖堂でのクリスマスのミサなどは、信者で溢れかえり、大聖堂に入れず、外で祈りを捧げなければならない人々も続出したようです。そして、イギリス統治の時代、これらのクレオールやローマ・カトリックは、被支配層の抵抗の象徴としての役割を果たしていたのです。

私が個人的に興味をもっているのは、歴史的な建造物の煉瓦の積み方が「イギリス積み」(写真左)と「フランス積み」(同右)に分かれているところです。植民地時代に、フランス軍によって、軍事拠点がVigieの丘から、Fortuneの丘に移されました。英仏両軍は、この要衝を互いに激しく奪い合うことになったのです。現在は、そのFortuneの丘の頂きに、私の配属先であるサー・アーサー・ルイス・コミュニティー・カレッジがあります。イギリス軍の建てた兵舎と、フランス軍の建てた兵舎を、共に仲良くカレッジの施設として利用しているのです。例えば、私は、イギリス積みのバラックで授業準備をして、フランス積みの方で授業をしています。平和使用されていることを喜びながらも、歴史の記憶を辿るとき、複雑な思いが胸をよぎらざるを得ません。カストリーズの大聖堂や、ピジョンアイランドのロドニー要塞などにもフランス積みの名残りが見られます。Vigieの丘にあるフランス大使館が、イギリス積みの歴史的建造物を利用しているのは、何ともまぁ、平和な光景ではありませんか。

イギリス植民地時代の1838年に奴隷制度が完全に廃止されます。しかし、さとうきびのプランテーション農場で労働力不足の問題が起こり、英国領であったインドから契約労働者が連れてこられることになりました。事実上の奴隷制度の延長と言わざるを得ません。しかし、彼らは、クルタやサリーなどの伝統的な衣装を縫うために、祖国からマドラス生地をもってきたのです。今や、そのマドラス生地を用いた衣装が、公式行事や文化行事での国民衣装として位置づけられています。マドラス生地は、柄がスコットランド発祥のタータンチェックに似ていますが、材質は羊毛ではなく、綿を使用しています。軽くて通気性があるため、海洋性熱帯気候の国で受け入れられたのでしょう。セントルシアにおいて多文化が融合した典型的な例と言えます。
西アフリカから奴隷として連れて来られた人々は、祖国での土鍋料理の味を再現しようと、セントルシアの火山地質を利用してクレイ・ポットを作ったと言われています。粘土鍋でじっくりと時間をかけて煮込んだスープやシチューの風味は、さぞかし格別だったことでしょうね。現代を生きる子孫の皆さんも、単なる調理器具の枠を超えて、遠く離れたルーツに想いを馳せることでしょう。民族に受け継がれる文化を味わっているのかもしれません。
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