2026/01/29 Thu
文化
隊員Gのセントルシア日記_62 〜Beach Culture〜

カリブのビーチはおとなの文化であふれています。私のこども時代、ビーチというおしゃれな言葉はなく、みな海水浴場と言っていました。日本において、ビーチは海水浴をする場所だったのです。(遠浅の浜辺ですので、投げ釣りでキスやカレイを釣る楽しみもありました)今でこそ、様々なイベントが開催されたり、マリンスポーツが楽しまれたりしていますが、ごく最近までビーチは、こども連れや若者たちが水着で過ごす場でしかありませんでした。夏休みのわずかな期間ではありますが、海の家がオープンして、とても賑わいます。「芋の子を洗う」という表現が、これほどまでシックリくる場所は、他にないのではないでしょうか。とても日本人らしい、こどもを大切にする、こども中心の行動形態ですね。もちろん、祖国の文化を揶揄するつもりなど、全くありません。海水浴場のおかげで、水泳が国民的スポーツとまで呼ばれるようになったのですから。ところが昨今は、海水を嫌うこどもも多く、日本らしい光景が少しずつ失われつつあるのではないかと、心を痛めています。
ディズニーランド発祥の地であるアメリカにも、こども中心の文化が数多く見受けられます。野球帽をかぶりハンバーガーを頬張る、ちゃめっ気たっぷりのアメリカ人。幾つになってもこども心を忘れることがなく、可愛らしささえ感じてしまいます。これに対して、ヨーロッパでは重厚感のあるおとなの文化が愉しまれています。こども時代からおとなの芸術文化に親しむよう、教育が行われているところがあるのではないでしょうか。

さて、カリブのビーチに、話を戻しましょう。カリブのビーチでは、こども達の姿を見かけることが、ほとんどありません。一度だけ、小さな漁村を訪れた際に、歓声を上げながら寄せくる波と戯れる、地元の男の子たちに出会ったことがありました。日本人の私には、とても安心感を覚えることのできる光景でした。一般的に、カリブのビーチ(ホテル産業によって運営される、外国人観光客向けのプライベート・ビーチは除きます)は、差し詰め「おとなの社交の場」と言ったところでしょうか。セントルシアは常夏の国ですので、泳ごうと思えば一年中泳ぐことができます。ところが、泳ぐのは副次的なレクリエーション、と言った方が良さそうなのです。ヨガのワークショップ、太極拳の練習会、基礎体力トレーニングの講習会、時にはバプティスト派の洗礼が行われることもありました。朝飯会と称してポトラック(持ち寄りパーティー)を楽しむグループもあります。第53話でお話ししたように、Beach Lime と言って、何をするでもなく、とにかくビーチに集まって、時を共に過ごす、という味わい深い文化もあります。新年午前0時0分0秒は、打ち上げられる花火を、水面のリフレクションとともに愛でながら、シャンパンを掲げてお祝いしました。しかし、どこにも、こどもたちの姿や歓声がないのです。もちろん、おとなと共にコミュニティーに参加する例はありましたが、こどもだからと言って、特別扱いされるようなことはありませんでした。

ビーチに限らず、セントルシアのおとな達は、「自分自身の人生を楽しむ」という文化にあふれています。誤解があってはいけませんので、言及しておきますが、こども中心の文化ではありませんが、こどもを大切にしないというわけでは全くないです。日本よりも2年早く高校を卒業して、職業に就いたり、職業訓練に勤しんだりする青年もいますので、随分早くからおとなとして扱われているように感じるのです。日本では、こども中心で、こどもを大切にするあまり、失敗する前に手を差し伸べ、こどもの成長機会を摘み取ってしまうようなところさえあります。「自分自身の人生を楽しむ」、「こどもを早くからおとな扱いする」という、ルシアンたちの生き方に見習うところがありそうです。
SHARE





