2026/09/17 Thu
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田中先生のソロモン通信#5【爆弾と兵士の皿 太平洋戦争part1】

1.爆弾が売られていたアートギャラリー
アートギャラリーを訪れ、ソロモンの海や動物の絵を眺めていたところ、その隣にはなんと爆弾が展示され、さらに日本兵が使っていた皿まで。
両方が安価で販売されていたのです。
驚いて店主に火薬が入っていないか確認すると、
「火薬は抜いてある」との返答で、ようやく安心。
教科書で学んできた戦争の記憶が、ここでは身近な現実として目の前に現れます。
ここソロモン諸島のガダルカナル島は、日本軍とアメリカ軍が6か月にわたり激戦を繰り広げた場所です。太平洋戦争の重要拠点である首都ホニアラには、日本軍が建設中の飛行場がありましたがアメリカ軍に占領されてしまい、これを機にこの戦争は、次第に窮地に追い込まれていきました。
日本軍は3万6千人を投入しましたが、2万人が命を落としました。そのうち7割は餓死や病死で、蚊を媒介とするマラリアも多くの兵士を苦しめました。飛行場を失ったことで補給線が絶たれ、戦況はさらに悪化しました。沈没船が多いのもこの戦いです。
最後に1万人が脱出に成功しましたが、その兵士たちの証言が現在 YouTube でも見ることができます。

2.終戦記念日の慰霊式
日本軍の指令所があった場所には記念碑が建てられ、奪い合った飛行場もよく見渡せます。
終戦記念日の慰霊式にはソロモン諸島の首相も参列しました。
この式では、「ふるさと」の歌が流れ、参列者は歌詞を見ながら歌いました。
作戦で勝利しても連射される機関銃に倒れる兵士たち――その思いは深く残ります。
当時の兵士たちは、日本に帰れず、残してきた家族を思い続けていました。
その現実を想うと、歌詞が心に深く刺さります。
小学校のころ気軽に歌っていた「ふるさと」も、ソロモンで聞くとまったく違う響きを持ち、日本人の年配の方々の中には涙ぐむ人もいました。
うさぎ追いしかの山 こぶな釣りしかの川 夢は今もめぐりて 忘れがたき ふるさと
いかにいます父母 つつがなしや友がき 雨に風につけても 思いいずる ふるさと
こころざしをはたして いつの日にか帰らん 山はあおき ふるさと 水は清き ふるさと
(作曲 岡野貞一 作詞 岡野辰之 文部省唱歌)
激戦地での追悼の理由が胸に迫り、平和の大切さを改めて考えさせられました。

3. アメリカのモニュメント
少し離れた丘にはアメリカ軍のモニュメントも建てられています。敵味方を超えて、戦争の悲惨さと平和への願いを伝える場となっています。
このモニュメントの石碑には、ガナルカナル島での戦況が刻まれ、広く見渡せる前の石碑には、どこで戦いが繰り広げられたかも刻まれています。
ホニアラには「ホワイトリバー」と呼ばれる川があります。
そこは亡くなった兵士の骸骨で埋め尽くされ白く見えたことから、その名が付けられたという説があります。
「ブラッディーリッジ」という地域もあります。
ここでは 銃剣突撃や機関銃による戦いは壮絶を極め、兵士の血が多く流されたことから「血染めの丘」と呼ばれるようになったようです。
現在、この国は当時沈没した戦艦や補給船が眠る場所であり、スキューバダイビングの名所となっています。しかし、他国の戦争の影響を強く受けた国であることを忘れてはなりません。
日本人として、この戦争の現実に目を背けてはいけないと強く感じました。
戦争の爪痕がたくさん残されているソロモン諸島。
(2026-1次隊 体育 北海道出身 田中 眞)
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