2026/07/24 Fri
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#13 音の出ないクーズーの角笛と山の向こうの歌声

トベラ、レガーイ?
こんにちは、お元気ですか?
2026年1月から、青少年活動隊員として派遣されている岩永です。
南アフリカにも本格的な冬がやってきました。
比較的、暖かいと言われている南ア北部に位置する私の任地でさえ、
最低気温が5℃前後となる日が続いています。
南アフリカに来る前の自分がどのような冬を想像していたのか、今となってはよく覚えていません。
ただ、5℃は普通に寒いです。
6月後半から7月中旬にかけて、学校は冬休みに入ります。
そしてこの時期になると、夜、山の向こうから歌声が聞こえてくることがあります。
声の主は見えません。何を歌っているのかも分かりません。
ただ、人の声だけが山を越え、冷えた夜の空気の中をこちらまで届いてきます。
最初は、その歌声が何なのか知りませんでした。
同僚に尋ねて返ってきたのが、「マウンテンスクール」という言葉でした。
■ 山の向こう側

マウンテンスクール。
名前だけを聞くと、山の中に校舎があり、机や黒板が並んでいるような気もします。
しかし、同僚が話してくれたのは、私が知っている学校とはかなり違う場所でした。
同僚が語ってくれたのは、主に彼が知る昔のマウンテンスクールの様子です。
現在は内容も変わっているかもしれないと、本人も話していました。
彼の話では、当時は思春期を迎える頃の男の子たちが、3、4週間ほど山で共同生活をしていました。
そこで学ぶのは、伝統的な暮らしや文化、共同体の一員として生きていくためのさまざまなこと。
夜には焚き火を囲み、みんなで歌を歌ったそうです。
最後には割礼が行われ、それが子どもから一人前の男性へ移るための大切な通過儀礼になっていたといいます。
同僚は、昔は医療体制が十分に整っておらず、安全とはいえないこともあったと話していました。
ただ、彼の話の中心にあったのは割礼そのものではなく、
そこで何を学び、どのように文化を受け継いでいくかということでした。
現在の南アフリカでは制度も変わり、本人の同意が前提となっています。
参加できる年齢や保護者の同意についても法律で定められています。
南アフリカには、さまざまな言語や文化を持つ人々が暮らしています。
「伝統を残す」と言うのは簡単ですが、実際には、誰かが教え、誰かが学ばなければ続いていきません。
この時期に時折聞こえてくる歌声も、その営みの一部なのかもしれません。
■ 鳴らなかった角笛
同僚の話を聞きながら、私は少し前に訪れたバコネ・マラパ野外博物館のことを思い出しました。

私の住むリンポポ州の州都ポロクワネ近郊にあり、
リンポポ州やヨハネスブルグのあるハウテン州に多く居住する、
北ソト系のバコネ族の昔の暮らしを再現した野外博物館です。
伝統的な家屋の中で、衣服や狩りの道具、食文化、火おこしなどについて、ガイドから説明を受けました。
そこで私は、ヤギの毛皮で作られた衣服を身につけました。
腰に白い毛皮を巻いたものの、その下にはいつものズボンをはき、足元も普段の靴のままです。
伝統的な毛皮と現代の服が一度に視界に入ると、
自分が歴史上のどの時代にいる人なのか、よく分からなくなります。
ガイドによると、昔の男性は婚姻前には腰回りだけを毛皮で覆い、
結婚後は腰回りをより広く覆ったうえで、上半身にも毛皮をまとったそうです。
婚姻によって毛皮の種類が変わるのではなく、体を覆う範囲が変わります。
ヤギの毛皮が使われたのは、身近にあって手に入りやすかったからだと教えてもらいました。
牛皮で作られた盾と槍も持たせてもらいました。
ガイドによれば、牛の皮の中でも額の部分が最も丈夫なため、盾にはその部分を使っていたそうです。
私はガイドに言われるまま足を開き、正しいのか分からないまま槍を構えていました。

さらに、オスのクーズーの長い角を使った角笛にも挑戦しました。
材質は動物の角ですが、音を出す仕組みは金管楽器に近いものでした。
唇を震わせ、その振動を角の中で響かせます。
ただ息を吹き込めば鳴るものではありません。
楽器経験のない私が吹いてみましたが、結局、音は出ませんでした。
角笛は私の息だけを受け取り、最後まで静かなままでした。

そのほかにも、マルーラの木で作られた生活道具や、
ソルガムを使った食文化に関わる器などを見せてもらいました。
棒と木の板を使い、摩擦によって火種を作る火おこしも体験しました。
同僚が話していた「伝統的な暮らしを学ぶ」という言葉を聞いたとき、
私はこの博物館で見たものを思い出しました。
マウンテンスクールで実際に同じことを教えているのかは分かりません。
私自身がその様子を見たわけでも、同僚から具体的に聞いたわけでもありません。
それでも、ヤギの毛皮や牛皮の盾、火をおこすための棒を思い浮かべながら、
「こういうことも学んでいたのだろうか」と勝手に想像しました。

■ 博物館の火と、今の暮らしの火
博物館では、棒を使った昔ながらの火おこしを体験しました。
けれど、博物館を出た後も、火は私の暮らしのすぐそばにあります。
ホストファミリーは人数が多いため、家では薪を使って大鍋で夕食を作っています。
私が活動している施設でも、昼食は薪を燃やして調理します。
寒い日には、昼食を作り終えた後の残り火を囲みながら、施設のみんなで話をします。
家でも特に冷え込む夜には、いつの間にか人が火の近くに集まっています。
火は料理を作るためのものですが、同時に暖房でもあり、人が集まって話をする場所でもあります。
マウンテンスクールの夜にも、人々は火を囲んで歌っていたと同僚は話していました。
山の向こうでも、施設でも、家でも、火の周りには人の声があります。

■ シンクという発明
火は身近にありますが、水は蛇口から出てきません。
この地域では、地下水を共同の貯水タンクへくみ上げ、
各家庭の敷地脇に設けられた屋外の蛇口へ配水する仕組みになっています。
ただし、そこから家の中まで水道管がつながっているわけではありません。
私が暮らす離れには蛇口もシンクもなく、母屋にあるシンクも配管にはつながっていません。
そのため、水を使うときは外から容器に入れて運びます。
現在は、共同貯水タンクへ水をくみ上げるポンプが故障しています。
自宅脇の蛇口から水が出たのは、着任してから半年間で3回ほどです。
そのため、生活用水は別の地域までくみに行き、25リットル入りのポリタンクで運んできます。

こちらに来てから、シンクはかなり画期的なものだったのだと気づきました。
蛇口をひねれば水が出て、そのすぐ下で食器や手を洗え、使った水は排水口へ流れていく。
日本にいた頃は、その便利さを考えたことすらありませんでした。

こちらでは、水を使う前に、まず残りの量を考えます。
体を洗うときは、バケツに入れた水を温めて使います。
水に余裕がないので、全身を洗うのは週に一度になりました。
日本では毎日のように体を洗っていたのに、ここでは一度体を洗うことにも、
どれくらいの水が必要なのかを考えるようになりました。
トイレもバケツの水で流します。
しかし、運んできたきれいな水をそのままトイレに使うのはもったいないので、
食器を洗った後の水を取っておき、その水で流しています。
食器を洗い終えた水にも、まだ次の仕事があります。
洗濯は、水に少し余裕がある日に、たまった服をまとめて洗います。
少量ずつ3回に分け、洗いに使った水は次の洗濯物にも回します。
すすぎは一度だけで、同じように水を使い回します。
幸い、私は母屋にある二槽式洗濯機を使わせてもらっています。
家の人たちは、洗濯物の量や水の残り具合に応じて、二槽式洗濯機とバケツでの手洗いを使い分けています。

「節水術」と呼べば少し前向きに聞こえます。
ただ、蛇口から水が出ない以上、節約しないという選択肢がありません。
いつか再び、家の中で蛇口をひねれば水が出る生活に戻ったとき、
この感覚をどれくらい覚えていられるのでしょうか。
少なくとも今の私は、シンクを見るたびに「これはすごい発明だ」と思います。
■ トコロシと裏山の鬼
ここでの暮らしや物語について教えてくれるのは、同僚や博物館のガイドだけではありません。
ホームステイ先の子どもたちとの何気ない会話から知ることもあります。

ホームステイ先の子どもたちと話していたとき、「トコロシ(Tokoloshe)」という言葉を聞きました。
トコロシは南部アフリカの民間伝承に登場する怖い存在で、
子どもへの戒めやしつけの話に登場することもあるそうです。
ホームステイ先の子どもたちにとっても怖い存在のようです。
普段は家族で一番やんちゃな7歳のモハェトヮも、「トコロシ」という名前が出ると怖がっていました。
ただ、本人が誰から、どのようにトコロシの話を聞いてきたのかまでは分かりません。
私も幼い頃、父から「悪いことをすると、裏山から鬼が降りてきて連れ去られるぞ」とよく言われ、
それでしつけられていました。
当時は、裏山に本当に鬼がいるのかもしれないと思っていました。
もちろん、トコロシと日本の鬼を同じものとして扱うことはできません。
それでも、怖い存在の力を借りて子どもをしつけるところには、どこか似たものを感じます。
「トコロシ」という言葉に顔をこわばらせるモハェトヮを見ながら、
裏山の鬼を怖がっていた幼い頃の自分を思い出し、「どこも変わらないな」と少しおかしくなりました。
トコロシがどのような姿で語られているのか、私にはまだよく分かりません。
山の向こうから聞こえる歌についても、誰が何を歌い、
そこで何を受け継いでいるのか、知らないことばかりです。
バコネ・マラパ野外博物館で吹いたクーズーの角笛は、結局一度も鳴りませんでした。
鳴らし方を知らない人間が、力いっぱい息を吹き込めば通じるというものではありませんでした。
それでも以前より少しだけ、歌声の向こうに、火を囲む人たちの姿を想像するようになりました。
クーズーの角笛を鳴らすことはできませんでしたが、耳を澄ますことならできます。
今夜も歌が聞こえたら、私は山のこちら側で、しばらくその声を聞いていると思います。
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