2025/07/03 Thu
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第四章 スリランカの家族【桃子の体験記】


こんにちは。
青年海外協力隊、元スリランカ隊員の倉田桃子(くらたとうこ / 2022年度4次隊 / 青少年活動)です。
私の協力隊生活の2年間を「桃子の体験記」シリーズとして書いています。
初めての方はぜひ、第一章から第三章も読んでいただけると嬉しいです(^^)
この第四章では、私が住んでいた家と大家さんをご紹介します。
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スリランカに来て熱を出すのは初めてだった。まだ微熱だったが、高熱が出た場合はデング熱などの可能性もあるので不安になった。起き上がる気力もなく、仕事は休むことにした。
私は大家さん(60代女性)が住む家の二階部分を借りている。大家さんは一階で生活していた。
朝、いつもの時間に私が降りてこないので、大家さんが一階から大声で私を呼んだ。
「ドゥワ!(「娘」という意味の愛称)仕事行かないのー!?」
「少し熱があるから仕事は休みます。」
「熱があるの!?」
大家さんはひどく心配して、二階の部屋に入ってきた。
「薬を飲まなきゃ!病院に行く?お腹空いてない?ご飯食べる?ミルクティー飲む?」
「もう少し寝ます。薬はあるので大丈夫です。」
午後、熱は無事下がった。
しかし大家さんは私が体調不良になってしまったと気が気でないようだ。
「なんで熱が出たのかしら。」
「ドゥワ、昨日シャワーを夜遅くに浴びたんじゃないの!?夜はダメよ、冷えるから!」※私の部屋はお湯が出ないので水シャワー。
「ドゥワ、昨日職場で何か食べた?キングココナッツジュースを飲んだ?ダメよ、身体を冷やすから!」
そして「栄養をしっかり摂らないとダメよ!」と、いつものようにご飯山盛りのカレーが出てきた。
今回は病気というより、ミリガマに来てからずっと気を張っていて疲れが出たのだと思った。
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1. 母と娘
2. 大家さんのルーティーン
3. 「暮らし方」のすり合わせ
4. 私が帰る家
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1. 母と娘
私が部屋を借りた家には、主婦の大家さんと三男の息子さん(当時28歳)の2人が住んでいた。大家さんの旦那さんはイタリアで働いていて不在だった。大家さんには息子が3人いて、長男と次男は結婚してすでに独立していた。
家は、高い天井に石のタイルがヨーロッパの雰囲気を思わせる造りだった。私はその二階を借りて生活していた。寝室にはベッド(蚊帳付き)、机、クローゼット、シャワールームとトイレ、別の部屋には小さなキッチンを用意してくれていた。広いベランダもあった。家にクーラーはないので天井のファンや扇風機を回して過ごす。玄関は共用で、洗濯機と冷蔵庫は一階の大家さんのものを時々借りていたが、二階は自分一人で生活できる設備がひととおり整っていた。廊下部分は一階から吹き抜けになって繋がっていた。
私が家に来ることが決まった日から、大家さんは「私に初めて娘ができるわ!」と大変喜んでいたと聞いた。
大家さんに初めて挨拶に行った日も歓迎してくれた。「私はあなたをドゥワ(「娘」)と呼ぶわ。」「では私は大家さんをアンマー(「お母さん」)と呼びますね。」これが大家さんにはとても嬉しかったらしい。
大家さんは仏教徒で、リビングには仏様の像がある。
朝8時、出かける前には仏様に「ブドゥサラナイ(仏様のご加護がありますように)」と挨拶する。そして大家さんの前にひざまずいて「いってきます」と合掌すると、大家さんは私の頭に軽く触れて「ブドゥサラナイ」と言ってくれる。お坊さん、先生、親など目上の人に対して行うスリランカの仏教の挨拶だ。
8時半、職場に着くと「無事着きました。」と大家さんに電話する。仕事が終わって帰る前には「これから帰ります。」と電話する。少しでも連絡が遅くなると「まだ仕事終わらないの?」と電話がかかってきた。ちなみに大家さんの息子さんも同じように連絡していた。
最初は電話連絡の多さに戸惑ったが、そこにはスリランカの家族の形がある。
大家さんは旦那さんや息子たち、親戚ともしょっちゅう電話で身の回りのことを事細かに話していた。
センターでは同僚も家族とよく電話していたし、同僚のお子さんが学校帰りにセンターに来て事務所で過ごすこともあった。私はスリランカで職場に自分の子どもを連れて来ている場面をよく見かけたが、嫌がられる雰囲気はなく、むしろ大人は子どもを歓迎して周りの人が面倒を見てくれたりしていた。
センターの学生も、親と一緒にセンターへ来たり、登下校時や休み時間にはよく親に電話していたりした。
ここでは皆、家族と密に連絡を取り、どんな時も家族のことを気にかけて生活している様子だった。
(スリランカではスマートフォンが一般家庭にも普及しているように見受けられたが、家族と共用で使っている人も多かった。)
午後5時、活動を終えて家に帰ると大家さんと一緒にティータイム。
午後8時、大家さんが作ってくれた夕食を一階で一緒に食べた。
私は家の二階を借りて住むだけでホームステイの予定ではなかったが、同じ家の中に住む私のことを大家さんは本当の娘のように面倒を見てくれた。
2. 大家さんのルーティーン
大家さんは主婦で、仕事はしていなかった。
平日、大家さんは朝5時ごろ起きて仏様にお線香を供える。息子さんのお弁当を作り、朝のティータイム。
朝6時半に息子さんを見送った後、庭や近所で花を摘んで仏様に供え、お線香を焚いてお祈りする。お線香は玄関にも供える。その後、庭を隅々まで箒で掃く。庭の木々や花に水やり。
私は8時に家を出る。
大家さんは私を見送ったあと、テレビやラジオから流れるお坊さんのお話やお経を聴きながら、次は一階の掃き掃除。そのあと外で手洗いの洗濯。家の一階に洗濯機があるので私はそれを週一回貸してもらっていたが、大家さんは普段は手洗い、時々洗濯機と使い分けていた。(洗濯機がない一般家庭もある。)
家事が終わると、大家さんは町へ買い物に行ったり、友人宅に行ったり、友人や親戚が家に来たり、リビングで旦那さんや友人と電話したり。外出から帰るとティータイム。
午後2時ごろ簡単な昼食。
その後、2回目の掃き掃除。家中の掃き掃除を一日2回行わなければならないそうで、家は常にキレイである。
※庭の鉢植えも大家さんが育てていて、綺麗に整えられている。
午後5時、私が帰宅すると一緒にティータイム。そして夕方のお祈りのために花を摘んで供えお線香を焚く。
6時頃から夕食の準備。大家さんの台所は家の外にある。
7時半、息子さんが帰宅するとティータイム。
8時過ぎに大家さんと息子さんと私と一階で夕食。そして大家さんは22時ごろ就寝。
スリランカ人は一日に何度も紅茶を飲む。マグカップにティースプーン3杯くらい砂糖を入れるのでかなり甘いが、その場にいる人みんなで一息つきながらのんびり過ごす時間だ。
大家さんは、毎日のお供えや掃除など仏教で良いとされるルーティーンがあると教えてくれた。朝、庭や外回りの掃き掃除をするのはご近所の奥様方も同じのようで、楽しそうに話す声がよく聞こえてきた。ご近所付き合いは壁越しに挨拶や会話するほど仲が良く、お互いに野菜や果物を差し入れすることもあった。
3. 「暮らし方」のすり合わせ
ミリガマ・センターに派遣される協力隊員は私が初代だ。大家さんも初めて隊員を受け入れた。そのため同僚も大家さんも日本人(外国人)についてほとんど何も知らなかった。
スリランカの暮らしに慣れなければと最初は頑張っていたが、活動先で気を遣い、家に帰っても気を遣っている状態は長くは続かなかった。家では少しでもリラックスできる時間と空間が必要だ。自分の習慣をここでの暮らしにどれくらい取り入れるか、バランスに悩んだ。そして、そのスタイルを大家さんに理解してもらうことに苦労した。
例えば食事。
この家に住み始めてしばらくは、食事はすべて大家さんが面倒を見てくれていた。ココナッツ、ニンニク、ターメリックやシナモンなどの香辛料がふんだんに使われたスリランカの食事は、独特の味だが香りが良くて好きだった。しかし辛さに慣れるのはまた別の問題。毎食香辛料たっぷりだからか、いつもお腹がゆるゆるだった。大家さんは辛く作ってないと言うが、辛い。(現地の人が「辛くない」と言う食事でも食べると辛いことは多々あった。)味付けが濃い料理も多い。早くも日本食が恋しくなった。
せっかく自分のキッチンもあることだし、私も時々好きなものを作って食べたいと大家さんに提案した。すると大家さんはひどく寂しそうな顔をして、食事がおいしくないのかと心配した。日本ではあまり辛いものを食べなかったから身体が慣れないだけ、と日本の食事について話した。
話し合いの結果、朝昼は自分で自由に食べて、夕食は引き続き大家さんにお願いすることにした。
※大家さんの台所。
※オイル、フレーク、ミルクなど、様々な方法で料理に使われるココナッツ。汁気の多いカレーを作るときは、この白い果肉を削って絞ったココナッツミルクを使う。
※カレーの食材と一緒に煮込む、潰したニンニク、タマネギ、カレーリーフ、パンダンリーフ、青唐辛子。
※にんじんとココナッツミルクカレーの下準備。ターメリック、クミン、チリなどのパウダーを入れる。
※こちらはチキンカレー。先にニンニク、タマネギ、リーフ類を香辛料とともにココナッツオイルで炒める。そのあと、塩・ブラックペッパー・香辛料で下味がついたチキンを入れ水も加えて煮込む。大家さんはこの小さなガスコンロを使っているが、釜戸に火を起こして調理する家庭も多い。
※できあがった夕食。チキン、にんじん、キャベツのカレーとスリランカ米のご飯。
例えば一人の時間に対する考え方。
私が自分の部屋で過ごしていると、大家さんが一階から声をかけてきた。
「ドゥワー!今なにしてるのー?」「一人でいると寂しいでしょ?」
いや、寂しくはない。むしろ好きなことを自由にできる一人の時間も自分には必要だ。
どうやら大家さんにとって「一人=寂しい」ことで、家にいるとき家族は一緒に過ごすことが当たり前のようだ。
私は日本で一人暮らしの経験もあるから慣れていると話したが、大家さんにはどうしても信じられないらしい。確かに、スリランカの若者は数少ない大学やカレッジの寮に住まう人以外、そうそう一人暮らしはしない。だからなのか、私が一人で居ても平気なことを “変” だと言われた。
こうして、お互いに習慣の違いに戸惑い、話し合い、模索する日々が続いた。
4. 私が帰る家

雨季。
ミリガマではほぼ毎日、夕方4時ごろから激しい雨が降った。昼間は晴天で暑いのに、夕方になると黒くて厚い雲が空を覆い、バケツをひっくり返したような強い雨が降ってきて、水捌けの悪い道路はあっという間に川のよう。風も木の枝が折れるほど強い。そして雷が鳴り響き停電するまでがセットだ。もはや嵐。
家の二階には天井がなく壁の上は直接屋根だったが、屋根の隙間を伝ってポタポタと雨漏りした。廊下、シャワールーム、自分の部屋にも。風向きによっては時々、雨が窓から吹き込んできて床がびしょびしょになることも。(スリランカの家にはガラスの張られていない小窓がいくつもある。)
どうするか?雨漏りしやすい箇所の床にいらなくなった衣類やタオルを敷いた。濡れ具合が酷ければ雨上がりにモップがけ。
最近では豪雨で川が氾濫し洪水になる地域も多いが、幸いミリガマでは被害に遭わなかった。雨漏りで机の上やベッドは濡れることがなかったし、屋根に叩きつける雨の轟音を聞きながら、壁と屋根に守られているだけで幸せだと思えた。
他にも、暑すぎて眠れなかったり、年中湿っぽくてクローゼットの中身がカビたり、動物や虫が部屋に入ってきたり(ネズミ、リス、鳥、サル、虫は日々色々)、頻繁に停電するので冷蔵庫はあまり当てにならなかったり。スキマの多い家は外からのチリやホコリですぐに汚れるので、毎日軽く掃き掃除をした。
確かに不便なこともある。慣れないこともある。でもなんだかんだ、私はこの家の暮らしが好きになった。
ベランダに椅子を置いて自作のカフェオレを飲みながら庭を眺めるのが、私のお気に入りの過ごし方。
朝から、庭の木には様々な種類の鳥がやってくる。リスは元気に走り回っている。
マンゴーやランブータンがなる季節には、それをとってみんなで食べた。
夕方には鮮やかな夕焼けがきれいだった。
※マンゴーの実。
※大家さんの畑のバナナの木。実の下についているのはバナナの花で、調理して食べられる。
責任感が強くて世話好きの大家さん。とにかく私のことが心配でならないようで、活動や旅行でいつもより遠出するとなると大騒ぎだったが、何回か経験すると大家さんも私も勝手がわかってきた。
広い家に家族の一員として住まわせてもらえていることは、本当にありがたかった。
そうやって暮らしていたらいつの間にか、家に帰ってくるとホッとする自分がいた。
住めば都、ちゃんと私の「帰る家」になっていたのだ。
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