JICA海外協力隊の世界日記

バヌアツ便り

アラカン隊員のバヌアツを行く~涙が繋ぐ心―バヌアツのお葬式に寄せて~(#5 野田順子/職種:小学校教育)

前回の世界日記では、バヌアツの結婚式について書きました。今回は、もう一つの人生の大きな節目――お葬式についてお伝えしたいと思います。バヌアツのお葬式には、この国ならではの風習と人々の想いが深く息づいています。

活動初日の朝、激しい雨の中を小学校に向かうと、登校していた子どもたちが次々と帰っていく光景に出会いました。事情が分からず、近くにいた先生に尋ねると、「昨夜、ひとりの先生のお父さんが亡くなったので、今日は休校です」と教えられました。バヌアツでは、身近な人が亡くなった時、学校はその人へのリスペクトとして休校になり、先生たちは全員でお悔やみに行くのだそうです。私はその日が初登校だったため参列はせず、活動初日からこの国のカスタム(伝統的慣習)に触れることとなりました。

その後も、先生や村の方のご家族が亡くなられることがあり、そのたびに学校は休校となります。私も何度かお葬式に参列させていただきました。多くは亡くなられた方のご自宅で営まれますが、時には病院の霊安室でお別れの祈りを捧げることもあります。

最も驚いたのは、葬儀の場に入るなり、参列者たちが一斉に大声で泣き始めることです。その泣き声に呼応するように、家族の方々も大声で泣き叫びます。日本のお葬式では静かに涙を流すことが多いので、最初はとても驚きました。しかし次第に、この「声に出して泣く」行為が、悲しみを共有し、癒すための大切な文化だと感じるようになりました。

参列者は順番に亡骸の前で祈り、ご家族に言葉をかけます。その間も泣き声は絶えず、時には嗚咽が空気を震わせます。私は泣き叫ぶことはできませんでしたが、自分の両親を看取った時のことを思い出し、自然と涙がこぼれました。両親はカトリック信者で、葬儀は教会で静かに営まれました。一人っ子の私は喪主を務め、葬儀後の手続きや事務処理をすべて一人で行ったため、涙を流す余裕もありませんでした。落ち着いた数ヶ月後に、ようやく悲しみが押し寄せ、何日も泣いたことを今でも覚えています。

だからこそ、バヌアツのお葬式で見た「みんなで泣く」光景には深い意味があるように感じました。悲しみを胸の奥に押し込めず、周囲の人と共に声を上げて涙を流すことで、心が少しずつ癒されていく――それは、悲しみを分かち合う温かい知恵なのだと思います。

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また、お葬式では参列者が米や毛布、ゴザ、花、時には豚などを持参します。日本のお香典のような役割を持ち、悲しみの家族を支える思いやりの形です。そして、もう一つ印象的なのは、お葬式の服装が黒ではないことです。女性はアイランドドレス、男性はアイランドシャツを着用し、まるで結婚式のように色鮮やかです。最初は意外に感じましたが、「死は終わりではなく、次の世界への旅立ち」という考えが根底にあるため、故人を明るく送り出すのだと知りました。

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葬儀後には食事が振る舞われ、人々は語り合いながら故人を偲びます。悲しみの中にも、人と人とのつながりの温かさが感じられます。普段はシャイで穏やかなバヌアツの人々が、悲しみの場で心のままに感情を表す姿を見て、この国の文化の深さと、人間らしさを強く感じました。涙の向こうには、故人への愛と、共に生きる人々への思いやりがある――そう気づかされた体験でした。

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