JICA海外協力隊の世界日記

今日はキルギス日和

任国内旅行と旧ソ連の記憶

少し前ですが、ゴールデンウィークを利用して日本の友人がキルギスに遊びに来てくれました!!

日本から飛行機を乗り継ぎ18時間程度、遠路はるばるようこそ!!

空港で彼女が到着ゲートから出てきたとき、久しぶりの再会になんだか泣きそうになってしまいました。

私も配属先から許可をもらい、この機会にキルギス国内を一緒に旅行することに。

キルギスの景勝地、世界遺産、私の任地、普段お世話になっているキルギス人のおうちなどを巡りました。

キルギスの自然の美しさ、のんびりした生活、キルギス人の素朴で優しい様子が彼女に伝わったかな。

さて、その旅行のなかで特に印象に残った場所について紹介します。

今から70年ほど前、キルギスのタムガ村という場所には125人の日本人がいました。

彼らは第2次世界大戦後、旧ソ連の捕虜としてこの地に連れてこられました。

私たちが訪れたのはその日本人捕虜が建設に携わったサナトリウム(療養所)。

敷地内の建物の一室が資料館になっており、当時の現地を描写したスケッチや、抑留者の日本帰国後の資料、2008年に元抑留者の日本人がキルギスに再訪したときの新聞記事などを見ることができます。

案内してくれたのは施設のロシア人のおじさんスタッフ。

私はロシア語がわからないので、旅行を共にしたキルギス人のドライバーさんがキルギス語に訳してくれました。

ロシア人のおじさんは資料館だけでなく、実際に日本人抑留者が作ったという石段や、当時の生活跡地などを見せてくれました。

また、私たちにしきりに写真を撮ることを勧めてきます。

彼は、ドライバーさんの通訳を通して、来てくれて嬉しかったこと、このこと忘れてほしくないからいっぱい写真を撮ってほしかったことを伝えてくれました。

上の写真は2008年に元日本人抑留者が訪れた際に植林された桜の木。

「まだ小さいから、倒れたり折れたりしないように大切に育てているよ。」

とロシア人のおじさんは話してくれました。

展示物の新聞記事によると、「日本人が造った建物は壊れない。」とキルギス人のあいだでは好意的に語り継がれているという。

強制労働という厳しい環境のなかでも、手抜きをせずに働いた日本人の姿が窺えます。

キルギス人は総じて親日的で、私たちJICAボランティアに対しても好意的です。

それはこういった元抑留者の働きと、無関係ではないと思われます。


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