JICA海外協力隊の世界日記

微笑みの国から

レスミー先生 自立した人

先日、レスミー先生の家族について、お話を聞きました。「私は、一人っ子なんです。ポルポト政権になった時、ちょうど父はアメリカ留学中でした。祖父母と母と私の4人家族で暮らしていました。祖父は高校教師でしたので、たくさん本を持っていました。ポルポト兵士たちが、私たちの町にもやってきたので、祖父は急いでそのたくさんの本を土の中に埋めました。その当時、私は4歳でしたので、あまりポルポト政権がしたことを覚えていません。覚えているのは、銃声の音ぐらいです。食事は、みんな並んで一人ずつもらって食べた記憶はあります。母は強い人でした。お金がないので、食べ物も買えませんでしたが、着古した服を細長く切り裂いて編んで紐を作ったのです。日中、外で強制労働させられた人はみんな帽子をかぶっていました。でも風が吹くと飛んでしまいました。その帽子につける紐を編んでいたのです。紐と食べ物を物々交換して、私たちは飢えをしのぎました。

ポルポト政治が終わり、私は学校へ行き始めました。祖父の埋めた本が役に立ちました。母も教育がどれだけ大切なことであるか知っていたので、私を学校へ行かしてくれました。祖父や母のおかげで私はプノンペン大学を修了し、日本に留学することができました。そして現在の私がいます。

でも、許せないことがひとつあります。父はアメリカで再婚したことです。父は私たち家族はみんな死んだと聞かされて、再婚したのだと言いました。父の再婚したことについて母に尋ねたことがあります。母は父が帰ってくることをずっと待っていたのです。でも、母の口から出た言葉は、『お父さんが悪いんじゃないのよ、戦争が悪いの』。私には理解ができません。この話題を夫と議論したことがあります。夫も母の意見に賛成でした。何でそんな風に考えられるの、と夫に反論しました。私なら、絶対許さない」。レスミー先生は、自分の考えをしっかりと持った人です。性差を超えて一人の人間として自分の意見をはっきりと言います。彼女一人を見ているだけで、カンボジアの未来は明るいと思ってしまいます。

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