JICA海外協力隊の世界日記

a journey to the better future

#13最後に

こんにちは。

今回で私の世界日記は終了となります。ご覧いただいた皆様、ありがとうございました。

昨年の1月に執筆開始となり、3月には帰国となってしまい、ジャマイカでの毎日の心揺さぶられたできごとやそこから考えたことを新鮮な状態で、お伝えしたかったのですがそれがかなわず残念です。

ジャマイカで過ごした時間、特に任地、配属先で同僚と子どもたちと過ごした日々は、かけがえのない時間で、私にとってはたくさんの学びと生きていくための価値観の幅を広げてくれた大切な経験でした。

そして活動がこれからというときに帰国になってしまい、子どもたちの日々の関わりやいいところを十分に同僚や家族に伝えられなかったことが気がかりです。コロナがあってもなくても、子どもたちのことは彼らが大きくなるまでどんなかたちであれ見守れたらと思うのですが、出会ったからには、一人の大人として、彼らが犯罪などに巻き込まれないように、自分の持つ力を最大限生かして成長し幸せに生活していってくれることを願うばかりです。

ジャマイカに派遣させてもらってよかったことについて振り返ってみたいと思います。

まず、五感をフル活用して、生活することに一生懸命になれたこと。

私の住んでいたマンデビルは他の地域に比べて暑さはましでしたが、日差しが強く年中通して明るくて(雨期もありますが)空が本当に青かったです。雨期のときは急に雨が降ってくると洗濯物を取り込まないといけないので、ジャマイカ人をまねして耳をすませて雨のくる方向や始まりを予測していました。亜熱帯特有の緑や赤・ピンクの色の濃い木や花が目に飛び込んできて独特のにおいを放ちます。果物も豊富で、歩いているとマンゴーやバナナ、アーモンドの木などに出会います。聞こえてくるのは虫やトカゲ、鳥の鳴き声、夜は遠くでレゲエパーティーをしている音楽、昼間はお店の宣伝の大音量のスピーカー音。ジャマイカ人はおしゃれで女性も男性も髪型を工夫していて、原色の服がとても似合っています。車も日本でいうちょっとヤンキーの人がするような装飾をしています。そしてアジア人の私は目立つのでいつも見られているような感じがして、話しかけられるというより、一方的に言い放つように「ミスチン」と言われます。そんなこともあって、はじめは一人でタクシーを乗るのも騙されてどこかに連れていかれたらどうしようと怖かったです。

食べ物は夏野菜やお肉などなじみのものもあれば、魚は輸入の冷凍がほとんどで調味料も醤油、砂糖、塩、日本酒の代わりにビール(ジャマイカはキャッサバが原料)、ケチャップは手に入りますが、自分の思う料理をしようにもちょっと小腹がすいたときに食べるスナックもなんだか違います。毎日食べるものにも敏感に、丁寧になりました。

バスで3時間程度かかったので、頻繁に訪れることは難しかったですが、カリビアンブルーの海は見るのも入るのも癒しでした。

とにかく生活するため、自分の仕事を前にすすめるため五感、自分の行動、言動に意識的で、毎日を丁寧に生きたなと思います。

次に、お互いのことを知りたいと思い文化や考え方の違いを大切にできたこと。

仕事では、同僚とお互いを知るための何気ない日常会話を大切にしていました。ジャマイカの記念日にはこんなことをしてということを教えてくれ、まだサトウキビ食べたことがないと言うと次の日にはどこかからサトウキビを手に入れて持ってきてくれて食べ方を教えてくれました。昼食のときには、食べ終わった子どもたちから遊びをせがまれるので、台所に避難していたのですが、大人がめいめいに集まってきて、井戸端会議が始まるので、そこで普段思っていることや今後の方針などの情報を手に入れていました。

会話の中ではジャマイカ人の宗教感や結婚観などについて知る機会があり、考え方の根底が違うことを感じることもあれば、「日本人でもジャマイカ人でもそんなに変わらないこともあるんだね」と言われることもありました。特に外国人の私にとっては言葉に出さないと伝わらない文化でしたが、考え方や宗教の違いに寛容だなと感じることが多かったです。スタッフのクリスマスパーティーでは「今年は産まれて初めて日本人としゃべった、友だちになった」と言ってもらえてうれしかったこともありました。

またお互いの意見が尊重できれば、共通の小さな課題に対してみんなでアイデアを出し合って、こうしてみるよとそれぞれが提案し、実践する機会も持てました。

ジャマイカのこと、ジャマイカ人のことを知りたいと好奇心を探求していく日々でしたが、仕事を進めることに関しては、日本だったらあうんの呼吸でスムーズにいくことが全然いかなくて押したり引いたり待ってみたり、強引に通してみたりの繰り返しで、技術伝達のためのコミュニケーションが骨折り仕事だったことは確かです 。

食事が共通の話題として一番多かったかもしれません。インターネットの情報で日本の食事は世界一健康的と思っているようで、巻きずしやたこ焼き、おせんべい、梅干しなどいろいろと紹介してみました。巻きずしの海苔が一番受け入れが悪かったです。ジャマイカ料理の仕方もいろいろと教えてもらい、まねして作ってみました。ナイフは日本の包丁のようにまっすぐ切りにくいので、玉ねぎも剝くようにそぎ切りします。チキンフットスープの下ごしらえ、アキーの下処理の仕方、コーンミールで作ったおかゆ等々。今となっては日本では食材があまり手に入らず作れないのが残念です。

また様々な文化の違いに出会うことで日本を相対化し、日本の良いところや悪いところを捉え直す機会も多かったです。

そしてまだまだ知りたいことがありました。特にコミュニティーの中で共助のあり方、また障害をもつ子どものいる家庭や生活事情のこと。ジャマイカではだれかが育てられない子どもを当たり前のように預かって代わりに育てたというのも聞きました。ジャマイカなりの助け合い方がいろいろとありそうで、それを知るのも私の今後の課題です。協力隊として戻るのか、一旅行者として戻るのか、いつ戻れるのかはわからないですが、いつか。

最後にジャマイカ人のポジティブさから学んだことです。

日本に戻り生活して働いていると、いろんなことがきめ細かく整えられていて、仕事でもそれに倣う必要があります。技術も経験も少ない私が立派に何かをするのには到底先のことのように思えてきます。

一方で、ジャマイカはものが日本ほどなくてシンプルな生活。時間の感覚がゆるやかです。制度やサービスは整っていません。めいめいがそれぞれの感覚で自分が心地よいように生きているように見えました。

私が出会ったジャマイカの同僚たちは自分に対してポジティブで、素直。自分自身のことやこんなことができたとアピールするのも好きです。私も日本ではできないことを気軽にやってみたいということができたと思います。地域の施設に連絡をとってこんなことがしたい、とお願いしたら、見学に行かせてもらいいろいろと説明してもらうことができました。小さな挑戦の機会が私自身に自信を与えてくれ、子どもたちの社会参加ための情報を増やしていくことに繋がりました。

貧富の差があり犯罪も多いと負の側面が取り上げられることも多いジャマイカですが、自然のパワーと個々の人々が持つエネルギーには力と可能性を感じます。

出会ってくれたすべての人に、たくさんの学びと発見、挑戦する機会と力を与えてくれた協力隊生活に感謝しています。つながりは続くと信じて。

日本に帰国してから療育を行う施設で働くなかで、日本でも学校や自治体によって障害をもつ子どもが一般の学校に通えなかったり、看護師の配置が難しく親の付き添いが必要などの現状も聞きました。また療育を卒業し地域の幼稚園に通う子どもの葛藤する姿も目にします。日本とジャマイカ、それぞれのいいところ、改善の余地があるところがあります。社会全体や将来のこともみながら子どもたちの成長の応援に関わり続けていけたらいいなと思います。

とりとめのない文章になってしまいましたが、以上です。最後までお読みいただきありがとうございました。

写真1枚目:クリスマスパーティーにて同僚たちと

写真2枚目:配属先は2月の再開に向けて準備中です。パーテーションが設置されています。人数を分けて行うようです。入り口には手作りの手洗い場を設営途中のようです。

写真3枚目:10時のおやつの時間(Breakと呼ばれていました)。まだまだ配属先自体のルーチーンやスタッフの役割もあいまいなところもあり、人手も足りていない状況でした。子どもたちの日常支援の足りていないところを手伝い、そのあいまに外遊びや室内で評価し、子どもたちの障害や支援の方法について説明を行う日々でした。写真はエッセイスト たかのてるこさんよりいただきました。

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