JICA海外協力隊の世界日記

マーシャルのゴミから見える世界

その11:マーシャルの昔と今と

マーシャルでは約3千年前にいわゆるミクロネシア民族の人々がカヌーなどを使って東南アジア方面から海を渡ってきたといわれています。マーシャルの代表的なシングル・アウトリガーカヌーの模型写真を示します。シングル・アウトリガーカヌーとは片側だけに姿勢安定用の浮子(ウキ)が付いたもので、カヌーの中で最も速度が出るとのことです。この模型は小型のカヌーで主にラグーン内での漁業や移動などに用いられますが、外洋航海用の大型のカヌーだと10人程度が乗れるそうです。このようなカヌーに乗って渡ってきた人たちは、どんな思いではるか西方からはるばるやって来たのか想像するのも悪くないですね。

 また、マーシャルでは古来文字を持たなかったため、この国の歴史に関する記録が限られています。この国唯一の国立博物館Alele Museumで歴史の一端を知ることはできます。上掲のカヌーの模型もAlele Museumに展示されています。ただし、展示内容は残念ながら貧弱といわざるを得ません。文字を持たなかったので記録も残らず、結果的に歴史に対する関心が高まることが少なかったためかも知れません。

#01 マーシャルの昔

 そんなマーシャルですが、写真記録はかなり昔から残っています。Websiteを見ると、1920年代の伝統的民家などマーシャルの昔がよくわかる写真が見られます

(例えば、http://www.janeresture.com/marshalls_history/)。そこで見られる伝統的民家は、材料が地産地消で、例えば屋根材料はどこでも手に入るココナッツなどの葉で作られています。

 以前「その5:(余計なものが)「何もない」魅力」にて紹介した離島の佇まいの残るLaura地区を歩いていた時、昔と同じ作りの建物を発見しました。どうやら、倉庫あるいはコプラ(乾燥ココナッツ)用乾燥庫のようです。写真に示すように、昔ながらの伝統製法です。

 さて、これをどうみるのか? 約100年前と同じ建て方が今も大きく変わらず続いているのは、進歩のない技術なのか、変わる必要がない無駄のない技術なのか?

#02 マーシャルの今

 次に示す写真は現在のMajuro市街地での交通渋滞です。

 昔の生活との大きな違いは車社会になったということかも知れません。近年Majuroでは車への依存度は大きく、長年Majuroに住む日本人に聞いてみると、特にここ最近の車の増加はいちじるしく、週末金曜日夕方の繁華街では交通渋滞が当たり前になっています。

 さて、これをどう考えるのか? 車社会になって便利な生活になったと言えるし、どこへ行くにも車のため、歩くことがなくなり運動不足、健康的な生活が少なくなったとも言えそうです。いったん手に入れた安楽な生活から元の不便な生活に戻るのは難しいことだと思いますが、もう少し健康的で不便ではない生活があっても良さそうです。

 ちなみに、私の交通手段は自転車です。確かに昼間の炎天下で自転車を漕ぐのはちょっと辛いものがありますが、汗をかくのも気持ちいいものです。

SHARE

最新記事一覧

JICA海外協力隊サイト関連コンテンツ

  • 協力隊が挑む世界の課題

    隊員の現地での活動をご紹介します

  • JICA 海外協力隊の人とシゴト

    現地の活動・帰国後のキャリアをご紹介します

  • 世界へはばたけ!マンガで知る青年海外協力隊

    マンガで隊員の活動をご紹介します

TOPへ