2019/04/15 Mon
文化
その5:(余計なものが)「何もない」魅力
Majuroのお気に入りの風景のひとつです。これは私が1年前にLaura地区で語学研修のホームステイをさせていただいたご家庭の入り口付近の風景です。
#01 Laura地区の魅力
Majuro環礁西端に位置しているLaura地区は、もともとMajuroの中心地であったといわれています。第2次大戦後埋め立てられて、現在のような地続きの環礁となるまでは、独立した一つの島であったとのことです。そのような背景もあって、Majuroの中では他の地区と違い、喧噪としたところがなく、(自然も、人も)何か離島的なたたずまいがあるところが個人的には気に入っています。緑がとても豊富で、それぞれの家の敷地が広く、かつ前号でお知らせしたようにどの家の緑もよく手入れがされています。Laura地区の魅力を一言で示すと(余計なものが)「何もない魅力」というべきものかもしれません。
#02 「足るを知る」
この写真も私のお気に入りの一つです。
Laura地区には必要最小限の日用品を売っている数店のローカルショップ以外は大型スーパーなどの商店はありません。さすがに自給自足とはいえないものの、それでも自分の家にあるたくさんのココナッツの木からココナッツの実を集め、まず人間がココナッツジュースを飲みます。飲み終わったココナッツの実は人間が食べるだけでなく、写真のように、家で放し飼いしている鶏や豚の餌になります。最後に残ったココナッツの殻は良い燃料となり、残すところが一つもありません。また、放し飼いされた鶏や豚は祝宴に供されることになります。当たり前のように資源が循環しています。
日本の都会育ちの若い人たちには信じがたいことかもしれませんが、私が幼少の頃、ほんの数十年前の日本でもこんな生活が当たり前でした。マーシャルでは、このような生活が今も普通に続いています。
「足るを知る」こと。過去に戻ることは難しいかも知れませんが、今でもこのような生活があるということを知るだけでも意味があることではないかと考えています。
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