2024/02/25 Sun
人 文化 生活
サッカーアジアカップとjordan 交通事情
春みたいな柔らかい風が頬を撫でる。
少し前は、雪が降るかもと言っていたのが嘘みたいだ。
少しずつヨルダンでも花粉という怪物がやってきた。
1ヶ月後には住み慣れてきた我が家にも別れを告げる時が来る。
そんな我が家から数十分歩けば
دوار(ドワール)
と呼ばれる
「丸い形状をした交差点」が見える(トップ画像右下)
Googleの兄貴から教えてもらったが
「ラウンドアバウト」という人もいるらしいが、正式名称は「
真ん中に「ドーナツ」みたいな穴があり、
日本では、植木などをするらしい。
ここヨルダンでは、
(トップ画像右下の青と黄色のモンスターボールみたいなの)
元々、この「ドーナツ」はヨーロッパが発祥。
ヨルダンには、信号が少なくこの「ドーナツ」が主流。
例を挙げると
私のアナザースカイ「マダバ」
首都に信号機はそれなりにあるが、田舎の道は限られている。
そして、何よりも驚くのは
道路上に多数の羊やヤギの大群(たまにラクダ数頭も引き連れて、
信号機代わりと言わんばかりにね。。。笑
(撮影地 トップ画像のドーナツから30mくらいのマダバ某所)
これが田舎だけでなく、首都アンマンでもたまに起きる。
最初見た時、サンシャイン池崎くらい目を見開いちゃったよね。笑
ドーナツだかアンマンだか言ってたら、お腹減ってきたなあ。。。。
羊、ヤギのお肉食べてタンパク質補給しないと、
そんなこんなで
今日はヨルダンの道路事情と最近あったサッカーアジアカップに関
道路はお祭り会場?!
ヨルダンは何か良いことがあると車を運転しながら、お祝いをする。
●結婚式
●大学入学試験
●国レベルのお祝い事
などが代表例である。
そう。
今回のアジアカップでもヨルダン代表の活躍に多くの方が歓喜!
その彼らの具体的な行動は
・頻繁にクラクションを鳴らす
・鳴り物や祝砲が鳴り響く
・車から身を乗り出して盛り上がる
今回のヨルダンの快進撃でも、気持ちが高まった群衆を見かけた。
特に準決勝
ヨルダンは韓国に2-0で勝利した。
その際の盛り上がり様はさながら、
ちなみに、
そして、試合の次の日
街を歩くと、「有名人か」って!くらい声をかけられる。
通常時でも、街を歩けば数年前に一世を風靡(ふうび)
今回はM1優勝&
多くの人は満面の笑みを浮かべ、指で『2-0』とやってくる。
1日50人にはやられたので、100対0と言いたいところだが、たまに『2-2』
100対4かな?笑
バスケットボールでもなかなかない点数だな。。笑
私が思ったことは
「みんな好奇心旺盛でわんぱくだなぁ〜」
嬉しさと、かまってほしさで
小学校1年生から中学・高校生まで同じことをする。いや、
運転中のタクシードライバーや油を売っている八百屋さんの店員さ
とにかく嬉しかったんだろうな。
そして、決勝
ヨルダンはカタールに1-3で敗北。
しかし、準優勝は史上初の快挙である。
だからこそ、彼らの悔しい気持ちも理解できる。
だって、みんなサッカー大好きだもんね。
小学生には1回の体育の授業で「おい、しんや、サッカーやろうぜ!!」
(ジャイアンが「おいのびた!野球しようぜ」ってノリと勢いとすごい圧で。笑)
ヨルダンが点を決めたら嬉しかったし、カタールに点が入れば悔しかった。
しかし、決勝の次の日
街を歩くと、準決勝と同じかそれ以上に声をかけられる。
そして、今回はみんな怒りやからかいの表情を浮かべて、中国人審判への不満を口にしていた。
中国人と冷やかされることも極端に増えた。
大好きなジムでも、中国人審判のジャッジについて説明を求められた。
なぜ、日本人の我々が文句を言われるのか?
なぜなら、我々の顔は中東の方々からすると、同じだからである。
(ちなみに、調べてみると一部のメディア(国内、国外関わらず) では、審判の決勝における出来について物議を醸していたが、このブログで、 審判のジャッジについてとやかくいうつもりはない。)
私はあなたたちに今まで助けてもらったこともたくさんある
それを踏まえても
この際だから、言わせてもらおう。
「自分にベクトルを向けた方が、人生楽しいと思う」
日本人に何か言った所で何も変わらない。
行き場のない思いは、押し殺して違う場所に昇華してほしい。
車に乗って、わちゃわちゃするんじゃなくて
自分自身に焦点をあてて
心が躍ることを見つけて、一生懸命にやるべきだと思う。
娯楽の少ないヨルダン
そうは言っても、ヨルダンはやることが日本に比べて圧倒的に少ない。
学生時代によく行ったであろう娯楽施設(カラオケやボーリング等)がほとんどない。
休日の過ごし方はもっぱら親族で会うことが多数(これに関しては羨ましい部分でもある)
ムスリムに関してはお酒もNG。抑制されている部分は多く、
そう思うと私は熱中できることがあった。
部活もやって、塾で勉強もさせてもらった。
学生時代、ドラマやスポーツをTVで見る時間はほとんどなく、今思えばそれは、目の前のことに精一杯であった証拠だと思う。
その当時はやることが多くて、疲労困憊なこともよくあったけど、だからこそ今の自分に繋がっているのも真実であり、人生一度は何かに打ち込む時が必要だと思う。(それは友人や家族の見えないサポートがあって、やることが多すぎて潰れてしまうことがなかったから言えることでもある。)
私は毎日に没頭し、日々に満たされていた。辛いこと、苦しいことばっかりばったけど、それも含めて
すごく、すごく幸せなことだったと今ならわかる。
家族の家業の手伝いや兄弟のお世話はなかった。
( 今でもヨルダンでは8人兄弟なんてザラであり、家族の繋がりが深く、今の日本がなくしたものの1つだとも思う)
ヨルダンにも学校外でのクラブ活動(
そういえば、見渡すと公園などの遊びも少ない。
まとめ
今回のアジアカップを通じて、塩辛い思いをかなりした。
1人1人の何気ない発言も、積み重なると大きなものである。
1滴1滴ぽとんぽとんと蓄積する。
やがて心は疲弊する。
「自分が満たされていれば、
と言い聞かせて
心に殻をした日々
それでも時間は流れる
ラスト1ヶ月の正念場
どう乗り越えていくか
真価が問われている
PS
このブログを書くことで心が整理された部分もあり、冷静に考えた。
今までの私のポジティブ思考ならどうするか。
きっと
「この状況を楽しめるか!?おい金子真也。辛い時は成長できる時だぞ!?」と問いかけていただろう。
忘れていた楽しむ気持ちを思い出させてくれた世界日記でした。
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