JICA海外協力隊の世界日記

ラオスの暮らしを知りたい

協力隊に参加してよかったです。

 今回は活動全体を振り返ってみました。これで終わりにします。長文となってしまったので、気になるところだけでも読んでみてください。

 今回の活動を一気にまとめると、あまりにも周りに助けてもらい過ぎて、以前より素直になったということです。周りに「ありがとうございます」と感謝できるようになりました。これも待機期間から活動までいろんな方に助けてもらったおかげだと思います。この話には新型コロナウイルスの影響で活動できなかった6か月間がどうしても関わってきます。ロックダウンや任地変更でなかなか活動を始められませんでした。でもその間にたくさんの方が手を差し伸べてくれました。

 例えば私の活動先を紹介してくれたのは、以前協力隊としてラオスで活動されていた先輩隊員や、今も活躍されているラオス人の社会起業家でした。

 待機期間中に織りや草木染めの学ぶ場を提供してくれたのは、以前からラオスと日本をまたにかけて活動されているラオス人の方でした。帰国後も声を掛けてくださるとても暖かい方です。

 いろんな隊次の協力隊員もたくさん助けてくれました。おかげでパンフレットを作ったり、うちわ作りワークショップを開催したり、商品デザインをしてもらったりすることができました。活動できなかった6か月の間、もし他の隊員の皆さんがいなかったら生活に耐えられなかったと思います。

 JICAラオス事務所の調整員にもお世話になりました。活動の相談に乗ってくれたり、申請書類を滞りなく処理していただいたり、語学フォローアップ研修を開催してくれたり、おかげで活動が前向きに進みました。

 もちろん活動先の職員や村人もたくさん助けてくれました。

 本当にありがたい話です。しかも待機期間から活動終了までに生まれたつながりは、様々な場面で私を後押ししてくれました。そのおかげで「つながり」は活動を促進してくれると教わりました。

 自分のことばかり書いてしまったので、次は配属先であったForestry Training CenterFTC)とVangvieng Posa HandicraftVPH)の活動に触れていこうと思います。

 VPHは以下の課題に直面していました。

  • 後継者不足
  • 道具の老朽化
  • 外部への発信不足
  • 予算の不足
  • 運営管理能力の不足

 その課題を解決するため、配属先と共に以下の内容を実施しました。

  • 情報収集・資料作成
  • 展示会への参加
  • うちわ作りワークショップの開催
  • 運営管理方法の改善
  • 商品改善の助言
  • ラオスと日本をつなぐ

 それぞれの項目について見ていきます。

情報収集・資料作成

 VPHメンバーの働く工房に通い詰め、作業工程表、工程作業動画、商品リスト、織柄と天然染色リストなどを作成しました。始めは活動でも日常生活でも、気になったことは何でも質問しました。答えてくれたらノートにメモして後日、その内容に基づいて更に質問しました。質問ばかりだと嫌がられるため、その場の雰囲気を体感するようにも気をつけました。そのおかげで「この人はこういう興味があって、こういうことができるんだ」と周りに伝わったような気がします。そうこうしているうちに、相手から私の興味がありそうなことは伝えてくれるようになりました。ときどき手漉き紙や紙布織、草木染めを手伝ったことも効果的だったかもしれません。この蓄積が後の活動にとても役立ちました。

展示会への参加

 JICAラオス事務所の力を借り、首都の展示会に何度か参加しました。FTC職員やVPHメンバーと共にVPHの手工芸品を紹介し、新たなバイヤーとの接触や既存バイヤーとの関係強化をはかりました。展示会では商品ディスプレイ、商品の管理方法、実物による商品紹介など、地道な活動を続けました。最初はJICAラオス事務所の力に頼っていましたが、展示会参加を継続していくなかで、FTCVPHが自力で参加した展示会もいくつかあります。最後に参加した展示会では、今までで最も大きな売上を得ることができました。そしていつの間にか、取引先が増加していました。このような経験から、続けることや最初のきっかけをつくることの大切さを学びました。継続的に外部に出ることで、FTC職員やVPHメンバーは内部の改善点に気がついてくれると考えていたので、このような結果となってよかったです。

うちわ作りワークショップの開催

 手漉き紙・紙布・うちわの広報だけでなく、FTC職員の自尊感情の向上、VPHのイメージアップ(社会貢献)などを目的にうちわ作りワークショップを開催しました。小学校・大学・病院など公共の場で、学生やリハビリ患者と一緒にうちわを作りました。その中でSDGs、自然の大切さ、手仕事、伝統・文化などを学んでいきます。このワークショップを実施したおかげで、CPがうちわ作りに親しみや愛着を持っていることを知りました。相手の好きなこと、得意なこと、自信のあることを土台にすれば、お互いに前向きな活動ができるようです。VPHは最初、外部から注意を向けてもらえるような発信をしていませんでした。でもこのワークショップを機に、CP自らFacebookでワークショップについて発信するようになりました。そのような面でもワークショップを開催できてよかったです。

運営管理方法の改善

 バイヤーに取引先として選んでもらいやすい体制を目指しました。例えば商品分類の統一(商品名、型・サイズ、素材・染料など)、金銭管理、販促方法(商品ディスプレイ、接客方法、実物の有効活用など)、価格変更(化学繊維・染料と天然繊維・染料で価格差をつける、ある程度原価計算してコストを決定するなど)、背景(ストーリー)の言語化などです。でもこの取り組みは一番難しかったかもしれません。今まで慣れ親しんだ方法を換えるのは容易ではありませんでした。

商品改善の助言

 観光客(欧米、東アジアなど)とラオス人の富裕層が好む商品を外部者として助言しました。例えば天然由来の繊維(紙糸・綿)と天然染料をできるだけ使用する、ラオス国外でも普段使いできるような商品やデザインにしてみるなど。でも私はこの活動にあまり力を入れませんでした。そんな中、VPHメンバーは首都の展示会に参加した経験を活かし、自分たちで商品を改善してくれたので大変助かりました。

ラオスと日本をつなぐ

 宮城県出身の同期隊員のおかげで、宮城県白石市の「白石和紙」を作る団体から、VPHに白石和紙をいただきました。その返礼品として、VPHメンバーが織る宮城県をテーマとする紙布のタペストリーを作りました。そのほか七夕祭りの企画で短冊にVPHの手漉き紙を使っていただいたり、展示会で日本の和紙を紹介したりしました。

 日本とラオスの交流という話題で一つ忘れられない出来事があります。私の活動終了間際、先輩隊員がFTCにわざわざ来てくれました。そのときCPは、紙布やうちわを通して日本のことをラオスに伝えている、と言いました。私は上から目線で、ラオスを日本に伝える、とばかり考えていました。でもCPは、その逆も然り、ということを私に教えてくれました。

 上記の内容と重複するところもありますが、2年間の活動で得た気づきを書いてみました。良いことばかりではありませんでした。

親から受け継いだ技術

 VPHの主要メンバーは平均60歳でした。両親と同じ仕事を幼少時代から学んできました。焼き畑、織物、畜産が主な手伝いだったそうです。10歳前後から本格的に親を手伝い始め、小学校は卒業か中退します。多くの子は小学校卒業と同時に焼き畑を手伝ったそうです。そして16~17歳で結婚します。子どものときには内戦も経験しています。

 そんな状況でも彼女たちは親から織りや染色の技術を受け継ぎました。そしてその技術は現在、生活の基盤となる仕事の一つとなっています。その背景を知ると、織りや染色をただの製造技術と捉えてはいけないと私は思いました。織ったり染めたりすることは、生産の一要素という以外の意味合いも持っていると感じています。ある意味、「学」を捨てて身につけた、暮らしていくための基礎知識なのではないかと考えています。焼畑と織物が彼・彼女たちにとって生きていくための学びの場だったのではないでしょうか。

 でもその生き方に馴染んでいることは、短所にもなっているような気がしました。親しんだ方法から抜け出せず、新しいことに挑戦しにくくなっているようです。見方を変えれば、今までの経験に依存している私にも言えることですが。

 彼女たちは今も、子や孫のために働き続けています。彼女たちが子どものときは両親を助けるために働いていたのに。そう考えると彼女たちにとっての手仕事は、現金収入以外に何か大切な意義があるのではないか、と私は勝手に推測してしまいます。

 次の世代であるラオスの若者はどう考えているのでしょうか。

居場所

 VPHメンバーにとって、VPHの工房は社交場のようです。布を織ったり、紙を漉いたりするだけでなく、みんなでおしゃべりする場所でもあります。世間話をしたり、お互いに近況を話したり、とりとめのない会話が続きます。でも彼女たちにとっては大切な時間です。

 私は最初、そんなことにまったく気がついていませんでした。さらにVPHメンバーの一人が、みんなとおしゃべりして収入も得られるなら仕事の種類はなんでもよい、と言ったことには大変驚きました。おしゃべりして収入を得ることができれば、布を織れなくなってもいいそうです。

 でも織ることは、ラオス人女性(特に低地ラオ族)が受け継いできた伝統、だと認識はしているようです。彼女たちは、織れなくてもよい、と言いますが、私はその回答に疑問をもっています。果たして織り(手仕事)無くしておしゃべりしながら収入を得られるのでしょうか、織り(手仕事)には彼女たちの認識できていない恩恵がもっとあるのではないでしょうか。これは私の勝手な押し付けなのかもしれません。

仕事の種類よりもおしゃべりとお金が重要?

 VPHメンバーが織りと焼畑の仕事を比べたときも同じような話になりました。焼畑は織物と比べて、日差しを浴びながら農作業しなければなりません。そのため肉体的・精神的にしんどいそうです。織物は屋内で働けるため、そんな心配はいりません。でも焼畑であっても大人数で働けるなら問題ないそうです。なぜならみんなとおしゃべりできるから。もちろん収入につながることが条件ですが。それでもやっぱり「おしゃべり」の楽しみは、働くうえで大きな割合を占めているようです。

 活動終了間近になったとき、私はこの話題について改めてメンバーに尋ねました。するとVPHメンバーは以前より詳しく教えてくれました。おしゃべりすることの意義はラオ語で「ປຶກສາກັນ(プックサーカン)」や「ແລກປ່ຽນກັນ(レークピエンカン)」にあるそうです。お互いに相談したり、意見交換したりするような意味です。この二つができて収入が得られれば、やはり他の仕事でもいいそうです。私は「ກັນ(カン)」という言葉にとても興味を持ちました。「お互い」という意味です。周りの人がいるからこそ生きていけるのかもしれません。私は協力隊の経験を経てそう思いました。

 私はVPHの状況しか知りません。他の団体の皆さんはどのような回答をするのかとても興味があります。

VPHにとって「ກຸ່ມ(クム)《団体、グループ、チーム》」とは何なのか

 VPHはラオ語で「ກຸ່ມຫັດຖະກຳວັງສາ(クムハッタカムワンサー)」です。「ກຸ່ມ(クム)」は日本語で団体やグループという意味です。でも実際の中身は団体やグループと呼んでいいのか疑問でした。VPHメンバー個人がそれぞれ勝手に動いているように見えました。例えば手工芸品の利益はVPHの資金にはならず、すべて作った本人の懐に入ります。VPHとしての資金はないため、積み立てしたり、共同購入したりすることもありません。「私の物は私の物」という感じです。メンバー個人が「調達→生産→販売」という最低限のサイクルを回しているだけなので、果たしてこれ以上成長できるのか正直疑問でした。ラオス人にとっての「ກຸ່ມ(クム)」は、私が考える団体やグループと違うのかもしれません。

 手漉き紙の準備や材料購入時のやりとりでは協力しているようですが、「協力する・しない」の基準が私にはまったくわかりません。あるとき他のメンバーに無理やり仕事を押し付けられたメンバーが、そのメンバーに対する不満を私にぶつけてきたこともあります。

 一人でたくさんの利益を得ようとするメンバーを見ていると一層、本当にグループなのかと聞きたくなります。一人でなんでもやろうとするので、処理できるキャパシティーを越えています。そうすると無意識的に手抜きとなって、手工芸品の品質は低下してしまいます。

 そのような状況を見ていると、私はVPHにマネージャーのような役割が必要だと思いました。でもメンバーがマネージャーになるのはおそらく難しいです。やったことのないことはできないのが当たり前です。マネージャーはどのような役割が求められるのか伝えられる人も周りにいません。実はVPHメンバーたちも、他団体にマネージャーやリーダーと呼ばれる人がいることを知っています。そしてそのような役割の人材が欲しいとも思っています。そうなるとVPH以外から人材を募集しなければなりません。CPはその役を担えると思っていましたが、専任担当ではないのでなかなか難しかったです。

 そんな状況でも、VPHメンバーの一人が「商品を改善し、首都などの展示会で宣伝し、売れるようになれば、マネージャー、営業、バイヤーが興味をもつきっかけになる。だから商品を改善する」と口にしたことはとてもうれしいことでした。私もそう思うからです。どうにか彼女の考えを周りが理解して一致団結してほしいです。

暮らしが違えば必要な知恵や働き方も異なる

 ここまで私の考えを押し付けてきましたが、まず前提として私と彼・彼女たちは生きてきた文脈(context)が異なります。CPは暮らしていくために色々と活動していました。森林を管理したり、うちわを作ったり、自然の大切さを伝えるために話したり、VPHの活動を調整したり、食べて行くために魚を獲ったりと本当に忙しそうでした。

 VPHのメンバーも同じです。私みたいに滞在費を受け取りながらPCをいじっている人はいません。何でもお金で手に入れようとしていたのは私だけです。別に自分を卑下している訳ではなく、単純に得意なことが異なると私は感じました。言い換えると「あるべき姿」を目指す上での、彼・彼女たちなりの「物事の正しい順序・筋道」があると感じました。

 そのため得意・不得意なことが異なるのは当たり前です。逆に苦手なことを得意なことで補完し合えます。そうすれば強みになるとも感じました。

異質の協力

 だからこそ、周りの活動に配慮する姿勢が大切だと思います。VPHメンバーはどうしても「自分のやりやすさ」を優先しているように感じました。「後工程はお客様」のという意識が不足しています。そのため自分の仕事以外にも目を向け、一人では大きな仕事ができないことに気づいてほしいと思います。もう気づいているなら、収入を得るために多くの人と協力する姿勢を示してほしいです。お互いの仕事を理解しないと信頼や信用を得るのは難しいです。それを踏まえて、VPH側から取引しやすい団体であることをもっとアピールするべきだと思います。今は受動的で「待ち」の姿勢になっています。「VPHと取引したい」と思ってもらえるような存在にならなければなりません。

データの記録

 活動を共にしていると、VPHメンバーは「経験・勘・度胸」に頼っているように思えました。事実(データ)に基づく管理はほとんど考慮されていません。そこで私は「暗黙知」を「形式知」に変える必要性を感じました。「ねらいの品質」を設定できていないということは、顧客が何を求めているのかわかっていないということです。

 でも記録を残してもらうのは難しかったです。VPHメンバーは文字による記録よりも、口承による伝達を好みます。商品リストをつくるときも、メンバー同士が自分の基準で商品分類しているので、基準を合わせるのが大変でした。商品コードによる紐づけについては、どの要素をコードにすべきかわからないので、私は途中であきらめてしまいました。

 情報を抽出しないとデータは得られないし、データがないと改善にもつながらない。私の力量不足をまざまざと感じる場面でもありました。

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理想の押し付け

 ここまで偉そうに書いてきましたが、これもあくまで自分の視野や知識の中の話です。もしかして自分の理想をVPHに押し付けているのかもしれません。私はラオスに来るまで、生産者の純粋性を勝手に祭り上げ、薄っぺらな生産者像をつくり出していました。彼・彼女たちは自分と違う、彼・彼女たちは単純素朴な人々で一生懸命がんばっている、純粋に生きているというイメージを勝手に持っていました。実際は、彼・彼女たちも自分と同じようにめんどうくさがるし、さぼるし、ずる賢いし、人の悪口も言います。理想的な生産者像を勝手に押し付けているのに、むかついたり、悲しくなったり、さびしくなったりしている私は、VPHメンバーからしたらとても面倒くさいやつだったと思います。

 そのほかにも最初のころ、私は「伝統技術を守らなければならない」と考えていました。でもこの考えは利己主義的で押しつけがましいと気がつきました。多くの村人にとって「伝統技術を守る」なんて知ったこっちゃありません。VPHの手工芸品作りは、現金収入を得るための一つの手段、でした。多くの村人は、「伝統工芸」という枠で手工芸品を捉えていないようです。日銭で暮らしていかなければいけない村人にとって、手工芸品作りはもっと生活に身近で現実的なものでした。

一緒に活動する効果

 そんな独りよがりの考えを変えられたのは、FTC職員やVPHメンバーと近くで一緒に活動できたおかげだと思います。一緒に活動しているとやっぱりコミュニケーションは増えます。しかも同じ景色を見ているので意思疎通もしやすくなり、私の意見も言いやすくなりました。うちわ作りワークショップや展示会は、準備から振り返りまで一貫して同じ時間を共有できるので、一人で活動するよりも伝わるものがあったと思います。その中でFTC職員やVPHメンバーの良いところも見えてきました。

表現物

 展示会参加やうちわ作りワークショップ開催を通して気づいたことがもう一つあります。ラオスの作り手がつくる手工芸品は、多くの人々に作り手の村や暮らしを知ってもらうきっかけになるということです。そのとき私は、これらの製品が作り手の「表現物」でもあると気がつきました。この表現物があるからこそ、その土地への興味を喚起することができます。そして作り手は現金収入だけでなく、多くの方からの関心を得ることができます。私はその表現物を通して、ラオス国内の様々な民族を表面的にでも知ることができました。

「この人を応援したい」と思えるような人と出会えた

 最終的には「この人を応援したい」と思えるような人と出会えました。おかげで少しぐらいしんどくてもがんばろうという気持ちになれました。やっぱり行動が前向きであったり、自分の仕事が好きであったり、郷土愛があったりする方は応援したくなると思いました。このような経験は協力隊に参加するまでほとんどしたことがなかったので、自分にとっては一番の学びとなりました。


 

 本当に長くなってしまいました。。最後に私の今後について書きます。

 私は手工芸品に関わる日本とラオスの共通課題に取り組んでいこうと思います。例えば「後継者不足」。後継者がいなければ、手工芸品も途絶えてしまいます。そして多様性は失われてしまいます。なぜなら作り手の表現物である手工芸品があるからこそ、その土地への興味を喚起できると思うからです。表現物があることで各地の暮らし(自然や伝統)を多くの人に伝えることができます。

 やっぱり実物のない概念的な説明は響きません。物の背後を見てもらうことで説得力が増すと思います。そのため私はつなぎ手として手工芸品を買い手に紹介し、多くの人にその土地の魅力を知ってもらいたいです。それが異文化理解につながればうれしいです。なんでも画一化したら視野が狭くなります。

 「道具の老朽化」の課題は、VPHにとって今後の継続性に大きな影を落としていました。特に紙漉きに用いる「簀桁(すけた)」は、VPHメンバーが独自の方法でなんとか修繕している状態でした。私は日本以外で「流し漉き」を導入している企業の方や、かつてラオスに「流し漉き」を伝えた関係者とつながり、「簀桁(すけた)※」 が日本国内でも存続の危機にある現状を知りました。その事実を知った私は「工芸品に関わる課題は日本とラオスで共通しているのではないか」と考えるようになりました。

※「簀桁」とは、紙を漉くために必要な道具である「簀(す)」と「桁(けた)」の総称です。簾(すだれ)のような「簀」を四角い枠の「桁」にセットしたあと、桁を前後に揺すると簀のうえに紙の層ができます。

 日本に帰国後も「竹簀(たけす)」 の現状を知るために情報を集めています。工芸品作りの道具を守るために活動されている方からは、「竹簀」に必要な竹ひごや編み糸、「桁」に必要な金具や釘も作れる職人もほとんどいないと伺いました。そのため私は部外者ながら紙漉きの未来に大きな危機感を抱きました。そのような課題にどう向き合っていくか答えは出ていません。どう行動するべきか今も検討中です。

 やっと書き終わりました。私の言いたいことをひたすら書いてしまいました。

 私は協力隊に参加してよかったです。ラオス人・日本人関係なく、協力隊で出会えた皆さんに感謝しています。今後も関われたらうれしいです。本当にありがとうございました。

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