2017/08/11 Fri
活動
数の概念は世界共通ではない!
上の写真は小学校の授業風景ですが、1クラス100人でも普通です。
モザンビークには地域ごとにいくつかの現地語があります。子供たちは小学校でポルトガル語を学びますが、家では現地語、という場合が多いようです。この現地語は文字がない言葉です。つまり、数字もないわけです。音だけの数字の概念を想像できますか?さらに、6,7,8,9がなくて、6は5と1、7は5と2、というような言い方になります。これは5進法か、と思うと、10という言葉があります。17は、10と5と2というふうになります。
私たちはアラビア数字があるから計算できる、というか、アラビア数字を媒介として計算する回路を頭の中に育てています。数字がない、音だけの数の足し算、引き算をする回路は、私の中にはありません。
私にとってアラビア数字による10進数の概念は極めて自然な概念なのですが、この感覚が世界共通ではない、という発見は驚きでした。言葉が通じなくても数の概念はどこでも同じはずだと思っていたからです。でもそれは、経済グローバリゼーションの幻想に過ぎなかったようです。
小学校の教室。外から見るとこんな感じ。
私にとってアラビア数字による10進数が当然なのは、小学校での教育の賜物でしょうか。そうかもしれません。でも、これは日本語のおかげじゃないか、と私は思うのです。日本語の数の概念は、アラビア数字がなくても、音だけでもちゃんと10進法です。11,12,13,14,15を英語で言うと、20以降とは違う言い方になっていますよね。特に11と12は特別です。これは12進法の名残だと思われます。ポルトガル語でも同じです。
今まで数の概念と数を表現する音声とを関連づけて考えたことはありませんでした。自分の中の数の概念が、日本語の音声と結びついているのだと、考えてみた時に、日本語の11から20までの言い方が、20以降と同じルールになっていることが、小学校で計算練習をした時に、大きな助けになっていたように思えてきました。英語と同じように、11,12という特別な言い方があり、13から20までは、20以降とは違うルールの言い方だったとしたら、自分は小学校でもっと苦労したような気がするのです。
数を表現する音声と、子供たちの数の概念の理解がどのように関連しているか、それはわかりません。どこかにそういう研究があるでしょうか。もしあったら、その成果を算数教育で生かせるかもしれません。
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