2023/01/11 Wed
人
世界は小さい(その2「想像以上に繋がりがあった!」編)
はあ〜「ごちそうさまでした!!」
ただいま、さちこさんが作って持たせてくれたクイティアオゴレンを美味しく食べ終わったところ。「さちこさん(祥子さん)」とは上の素敵なお写真左側から2番目の女性でご結婚のため25年前マレーシアに来られました。一番左側がご主人でマレーシア人のイスワディさん。こちらはお二人の娘さんらいらさんのご結婚写真です。綺麗な花嫁さんと皆さんの幸せそうな様子にうっとりしちゃう...♡
さちこさんについて書きたいことは沢山あって、それは国際結婚や食育、ピアノ、子育て、日本語教育、在宅介護などなど...。そんな中、今回は日本との関わりを大切になさっているご主人イスワディさんのインタビューをもとに書いていきます。
イスワディさんはペラ州のご出身で、マレーシアの最高学府、マラヤ大学工学部の講師。学位課程から修士、博士までを日本の国立大学で修められました。マレーシアから日本への国費留学は「東方政策」の取り組みの一つでもあります。(写真は左からイスワディさん、末っ子のまいやちゃん、さちこさん)
●国費留学で日本へ行くまでの道のり
小学校の6年間を地元で過ごし、その成績が良かったのでクアラルンプールの中高一貫校に入学(マレーシア全土から生徒が集まる)。卒業するとマレーシア国内の大学進学ではなく、マラヤ大学にあるRancangan Persediaan Khas ke Jepun(RPKJ)/ The Special Preparatory Program to Enter Japanese Universitiesに入学されました。RPKJとは、日本の国立大学に留学するための予備教育を行う機関。RPKJでは、はじめの1年を日本語を学び、2年目からは日本語で各自学生が専攻する専門教科を学び、合計2年間在学するそうです。修了後、イスワディさんは専攻を工学とし、日本の愛媛大学に入学されました。入学する日本国内の大学の選定については、日本の政府機関が行ったそうです。当時、日本以外の留学先には、アメリカ合衆国、イギリス、韓国、フランス、ドイツ、オーストラリア、ニュージーランド、カナダなど。中東やエジプトへの留学はイスラム教徒が多いマレーシアらしいと言えます。
●「(マレーシアに帰国するという)選択肢がない。」
なぜ、イスワディさんが海外で博士課程まで成し遂げられたのか...?とても気になるところです。
イスワディさんが頑張ることが出来たのは、「帰れない、がんばるしかない」から。貧しい家庭で育ち、留学にあたり故郷の親御さんや親類に見送られ期待を背負って日本へ旅立ったから、とさちこさんがイスワディさんを見守りつつ説明して下さいました。ご夫妻は愛媛大学で知り合ったので、さちこさんはイスワディさんのご苦労をよく理解されています。お二人はともに異文化交流サークルで学生時代を過ごし、仲間とマレーシアのお菓子カリーパフやケリアを調理して売ったこともあったそうです。...微笑ましい!
●日本語教師、オオムラ先生
「なぜ日本語を学んだのですか?」の質問に、とあるJICAボランティアが登場!それが日本語教師のオオムラ先生で、イスワディ少年が13歳でオオムラ先生が25歳の時のこと。先生はJICAボランティアとしてイスワディ少年の通う中高一貫校に配属され、マレーシア語で日本語を教えていたそうです。イスワディ少年は、「かっこいい、スマート」な先生の姿に憧れ、そして日本語を勉強することになりました。イスワディさんは、今も先生と交流を続けられており、先生思いのイスワディさんと慕われているオオムラ先生のフレンドシップに心が温かくなります。多感な10代で出会う教師の影響はとても大きなものですね。
イスワディさんの奥様、さちこさんは私のマレーシア生活を語る上で欠かせないお人です。
出会ったのは、2022年6月クアラルンプールで開かれた「マレーシア・ジャパン・フェスティバル」(上の写真)でのこと。JICAマレーシアのブースの前をさちこさんが通りかかられたところを、たまたま私がお声がけしたのでした。お話してみると、お互いの家が近く、かつ年齢も近い。以降、お話しするほどに、繋がりが見えてくるのでした。イスワディさんと私には共通の知人がいることも発覚し、世界の小ささの面白さに驚くばかりです。
さちこさんから教わったマレーシアの食育や国際結婚についても取り上げますのでお楽しみに。
改めまして、さちこさん、イスワディさん、とても興味深いお話をありがとうございます。
ジュンパ・ラギ!(マレーシア語で「またね」)
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