2021/03/31 Wed
酪農家さんが教えてくれたこと
こんにちは!カルメン・デル・パラナ市の向井歩です。
2020年2月に始まった「HOLA PARAGUAY」も、私たちの任期満了に伴い今回が最後となります。
始まるや否や新型コロナウイルスの感染拡大による帰国となり、
残念ながら現地の様子をリアルタイムにお伝えすることはできませんでした。
今まで、パラグアイの文化について思い出話を交えながら紹介する記事がメインでしたが
今回は最後ということもあり、活動の現況をお伝えいたします。
任地のカルメン・デル・パラナ市は畑作農家が多く、以前はお米が主力産業だったそうです。
酪農業は畑作と兼業で行われており、地区で一番規模の大きな酪農家さんでも
搾乳牛(母牛)20頭で、一日合計200Lの生産量でした。
さらに、私が巡回の対象としていた酪農家さん4戸はそれよりも少ない、
搾乳牛5~10頭、一日合計40Lほどでした。
平均すると、搾乳牛1頭につき5~10L/日の生産量です
(参考:日本の搾乳牛は25L以上/日と言われています)。
酪農家さんは集乳タンクを持っていないため
ミルクをペットボトルに詰めて販売するか、チーズに加工して収入を得ています。
仮に生乳生産量が増えたとしても
収入を増加させるためには、自分たちで販路を開拓しなければいけません。
赴任当時、近隣の外国から安いチーズが大量に入ってくるようになり
チーズの価格相場が年々下がっていることが酪農家さんにとって悩みの種となっていました。
もう少ししたら時期的にチーズの需要が増えて価格が高くなるだろうから
それまで置いておく
といって、チーズを冷凍保存しているものの
一向に価格が上がる気配がなく
チーズでいっぱいになった部屋を見せられた時の衝撃は忘れられません。
”生乳出荷ができれば、安定的に収入を得られるのに”
訪問する度に酪農家さんたちがこぼしていました。
しかし、生乳出荷までには
集乳タンクの購入費用は?管理はどうする?毎日の出荷量は確保できる?など
課題が山積みで、実現は到底不可能に思えました。
とはいえ、できることから少しずつやろうと、同僚と相談し、
酪農家さん個々の生産性の向上に向けた活動(写真)と並行して
地域の酪農家グループを組織することを目標にしました。
グループ化すれば、市や県の補助が得られやすくなるから、ということでした。
幸い、賛同してくれる酪農家さんが数戸あり、彼らと同僚が中心となって
集会を開くことができました。ところがなんと、初回参加したのはたったの2戸だけでした。
ちょうどそのころ、パラグアイでもコロナウイルスの感染が急速に広まり、
集会は禁止され、私は一時帰国せざるを得ませんでした。
このまま組織化はうやむやになってしまうのだろうか、と心配していましたが
それは杞憂に終わりました。
感染拡大防止の集会禁止の規制が緩和されると、
今度は酪農家さんが自発的に集会を計画したのです。
いまでは感染拡大状況を見ながら、月に一回ほど会議が開かれており、
複数のメンバーが外部機関の研修会に参加するなど
集会以外の活動も少しずつ行われているようです。
そうした活動が実を結んだのか、現在、民間の乳業メーカーから
この地区で念願の生乳出荷をする計画が寄せられているそうです。
生乳出荷が実現するまでの道のりはまだ遠いですが、
彼らならきっと成し遂げてくれることでしょう。
私はせっかちで、当初、会議に2戸しか集まらなかったときは
「本当にやる気あるの!?」と疑ってしまい
同僚に「少しずつしか変わらないよ、落ち着いて」とたしなめられたほどです。
その言葉通り、酪農家さんたちがあきらめず地道に活動を継続した結果、
生乳出荷という、現状を打開できる希望の光が見えてきたときは
日本にいながらですが、疑ってごめん…と反省し、農家さんたちと喜びを共有しました。
彼らに対して直接何かできたか、といわれると正直あまりないかもしれません。
むしろ、彼らの姿から、
結果を焦らないで地道に努力を積み重ねることが
周りの人や状況を動かすということを学びました。
彼らとの活動を通して
突然の帰国、そのまま任期満了という、誰も予想できなかったまさかの事態に対しても、
少しずつでいいから自分のできることをやっていくしかないのだと
前向きになることができました。
今後、私は再び酪農の現場に戻り、自分のスキルを磨いていくつもりです。
いつの日かパラグアイに戻った時に、
酪農家や同僚に「あなたたちの姿を見て、私もこんなにできることが増えたよ」と
自信を持って言えるように…
今まで全11回、お付き合いいただきありがとうございました。
向井歩でした。
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