2019/07/16 Tue
人 文化
日本に帰国してから、元JICA海外協力隊員によるラオスの不発弾のお話を聞いてきました。
7月12日に元ラオスJICA海外協力隊隊員のJICA地球ひろばで行われた「今もラオスの人々を苦しめる不発弾(UXO)とは」の後援会に参加し、元ラオスJICA海外協力隊員によるお話を聞いてきました。
ベトナム戦争の時に、ラオス国内にも北ベトナムから南ベトナムへの補給ルートが通っていたことから、これを阻止するアメリカ軍からラオスは激しい空爆を受けました。
不発となる割合が高い(20~30%)クラスター爆弾を多用したため、戦後の一般市民への被害が問題となっており、今も250万トンの不発弾がラオスに残されています。
ラオス滞在中には、講義された元JOCV伊藤さんの企画で行われた、不発弾が多く残るカムワン県の不発弾処理現場見学ツアーに参加したことがありました。そこで見た現実は、不発弾がある日常とともに生活する人々であり、不発弾の恐怖を感じたと同時に、不発弾の身近さに驚きました。
日本でも、1945年に原爆が投下され広島で14万人、長崎で7万人以上が亡くなったといわれており、悲しい歴史があります。過去のJICA世界日記でも報告しましたが、広島出身の花岡JVが中心となり、任期中に、ビエンチャン高校の学生を対象に、原爆展を隊員で企画し、実施しました。
このような経験を通して私ができることは、自分の知る事実や現状を、「伝える」ということではないかと考えています。
今回、帰国してこのような講義を聞くと、また、「伝える」という行動の重要性を実感しました。
このような講義の場ではなくても、ラオスや日本の平和に興味のある方に、普段の会話の中、SNSなどの発信、また、こういった会に一緒に行ってみる。
帰国後も自分のできる範囲内で、できることを見つけて、日本とラオスの橋渡しになれるような人になれるといいなと感じました。
ラオスに残る不発弾やクラスター爆弾については、ビエンチャン市内にCOPE Visitor Centerという資料館があるので、是非興味のある方はお越しください。
このように帰国後も派遣された国に関わったり、その国に関わる人と繋がりを持てることはとてもありがたいと感じました。
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