2020/10/29 Thu
人 文化 生活
協力隊生活を通して苦手から得意になったこと
ひんちぇってー(料理を作る)
ミンガラーバー!
私の協力隊としての活動の任期が7月末で終了しました。
コロナ感染拡大に伴い、全世界の協力隊が一斉帰国になり、4月1日に地元宮崎に帰りました。そして、7月に協力隊生活に幕を閉じ、現在はミャンマー人が50人ほど在籍するIT企業で働いています。
今日は、ミャンマー人とのルームシェア生活をご紹介したいと思います。
私は現在、ミャンマー人2人と私の計3人で2LDKのマンションで暮らしています。「ん?2LDDK?3LDKでなく?ってことは、ミャンマー人2人が1部屋で寝ているの」と思った読者のあなた。違います。私がミャンマー人の1人と6畳を共有しています。「個人スペースがないとか考えられない!」という考えが多い日本人の皆さんにとっては、現在の私の生活は不思議かもしれませんが、私は今の生活が快適で、ストレスが特にありません。寝るときには手を伸ばせば手が触れる距離にミャンマー人がゴロンと横になっています。ご飯は毎晩一緒に食べるけど、どれも辛いです。
私たちの晩御飯をお見せしましょう。
休日は、髪の毛を染めてあげたり、ミャンマー人がたくさん来てホームパーティーをしたり、ウクレレを弾いて歌ったりしています。私のウクレレ好きの影響で、ルームメイトもウクレレを買いました。
こんな感じで、楽しい生活をしておりますが、2年半前(協力隊任期前)の私であれば、この生活は無理だったと思います。協力隊任期前は、私も日本人の大半の人と同じ考えで「個人の時間がほしい」と思っていました。大学時代3人の友人からルームシェアを提案されましたが、断固として拒否し続けたのを今でも覚えています。そんな私でしたが、協力隊1年目に大学の教授寮に住み、先生方と暮らす中で「異国の他人と一緒に生活をする。知る。そして学び、共感する」ということの大切さを知りました。正直、最初の3か月は毎日がストレスでしかなく、ストレスを感じなくなったのはいつか分かりません。しかし、当時ルームメイトだった先生が故郷に帰っていなくなったとき、涙がぽろりと出て、寂しくなったのを覚えています。以前はストレスだったものが、自然と自分の生活の一部になっていたのだと気づきました。協力隊時代が、私の生活に大きな影響を与えてくれたのは間違いありません。
今では、ミャンマー人との暮らしが私の憩いの場になり、家族との時間のように感じています。協力隊時代の異国での生活は、私の「無理」を「可能に、そして得意」に変えてくれました。
こういった経験をできる方が、一人また一人と増えてほしいと思っています。
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