2020/04/21 Tue
活動
第29話 笠戸丸前史 安田良一の日記
日本からブラジルへの移住の歴史は、1908(明治41)年の笠戸丸による第1回契約移民から始まると一般的には知られています。
しかしそれ以前にブラジルに移住した人がいます。
今回紹介するのは、鹿児島県出身の安田良一(やすだりょういち)という人です。
【写真1 左の男性です。『物故先駆者列伝』より】
彼は、鹿児島県裁判所判事を退職して弁護士をしていた隈部三郎(←クリック くまべさぶろう)一家と他6名でブラジルへ移住します。
この時の日本出発からブラジルに到着し、その後の流転の様子が書かれた日記が出てきました。
【写真2 日記の表紙(表紙の表題は後年に半田知雄が書いたようです)】
日記は、1906(明治39)年5月19日から1908年2月4日まで。
1906年代は比較的毎日書いていますが、1907年以降は日にちが飛び飛びに。
では、出港の様子を少し紹介します。
【写真3】
日付の下
「とにかくセルバスの平野に新日本を建てんと、つねならぬ決心をしたる、われら一行が(カッコ内は省略)乗りこむべき、日本郵船会社汽船サヌキ丸は、本日午前11時神戸港を解纜することとなった」
とあります。
「~新日本を建てんと、つねならぬ決心」という文言に意気込みを感じます。
そして次のページの最上部には和歌が書いてあります。
「かなしみを 袖にかくせる 君が身は いづことみれば さみだれのふる」
この他、出港前後の緊張した様子が書いてあります。
船は上海・マレーシアのペナン・コロンボ等を経由して、スエズ港から地中海に入りマルセイユ・ロンドンに寄港し、サザンプトンからブラジルに向かって、8月20日にリオデジャネイロに到着します。
丸3か月の船旅です。
この間の出来事が詳細に、時には適当に書いてあります。
ちなみに安田はブラジル各地を転々とした後、ピンダモンニャーガバの耕地に入り米作に成功します。
そして、安田の息子ファビオは、日系人としては最初の大臣になっています。
それではまた
~笠戸丸の風を受けて~
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