2020/03/18 Wed
日本の歴史・文化
第28話 江戸時代の身分
久しぶりの日本の歴史シリーズ。
今回は江戸時代の身分についてのお話です。
中学校や高等学校の日本史で必ず習うのが、江戸時代の身分制です。
士農工商(しのうこうしょう)と言えば、日本史に詳しくない人も、なんとなく覚えていると思います。
さらに、士農工商の下の身分として、穢多(えた)と非人(ひにん)という身分もあったということも習ったと思います。
実は1990年代から、この身分制についての研究が飛躍的に進みました。
きっかけは、本当に江戸時代の人たちを士農工商・穢多・非人の6つに分類できるのか、というそもそも論から始まりました。
そして研究が進んでいくなかで、ドイツのベルリン国立アジア美術館で「熈代勝覧(きだいしょうらん)」という史料が発見されます。
この史料の発見により、さらに飛躍的に研究が進みました。
熈代勝覧は、文化年間(1804年~1818年)の江戸の神田今川橋から日本橋までを描いた絵図です。
今川橋方面から日本橋に向かって、通りの右側を俯瞰して描いています。
【写真2参照 現在の地図 赤い線で示したあたりです】
そして、熈代勝覧がどのような史料か、興味のある人はこちらを(←クリック)。
この動画を見ると、江戸時代にタイムスリップできますぞ~。
また東京メトロ銀座線の日本橋駅と三越前駅の連絡通路に史料の一部がパネルで掲載されています。
さて、この史料には上記6つの身分に当てはまりはするだろうけど、う~ん、この人は?という人や、6つの区分以外の人々がたくさんいます。
今回はその一部になりますが、6つの身分に当てはまりはするけど、この人は?という人達をみていきましょう。
その前に予備知識を一つ。
史料には、通りに面した店舗が多く描かれています。
それらは現在も続いている店もあります。
この通りに面した店舗のことを表店(おもてだな)と言います。
それに対して、路上で仮店舗・屋台のような簡易の店舗で零細に商売をしている職人たちもたくさん描いています。
この人たちのことを広く捉えて振売り(ふりうり)と言います。
この振売りの人たちを見ていくと、ビミョウ~な人達がいます
まずはこの人。
【写真3】
わかりやすいように赤い線で囲みました。
この人は鋳掛け屋(いかけや)です。
鋳掛けというのは、鍋や釜を直すことを言います。
昔は、鍋や釜が高価だったので、穴が空いたり破損したら修理して使いました。
要するに修理する技術者です。
また上記の動画サイトの0:54では黒い門の前で、武士の履物の緒を直している雪駄直し(せったなおし)が描かれています。
こういう人たちは、あきらかに技術を持った職人(士農工商の工に相当)ですが、自分で直接商売をしているので商人(士農工商の商に相当)でもあります。
このように振売りには、表店の店先で仮店舗を構え、職人が自分で商売を行っている人がいることがわかります。
振売りには、青物や魚など日々の生活に欠かせないものや、立ち食いする食べ物屋など、農だけど商というような人たちもいます。
このように、さまざまな形で商売が可能になった背景には、1760年代から1780年代に田沼意次(たぬまおきつぐ)が様々な政策をとったことにあります。
いわゆる田沼時代というものです。
田沼意次というと日本史の教科書では、政治が腐敗した時代・賄賂政治と暗いイメージで書かれています。
しかし近年の研究では、田沼時代を「江戸時代の高度経済成長期」と捉える評価に変わってきています。
たしかに、株仲間の結成を奨励する等の経済政策を行ってきました。
この史料は、田沼時代から約20年以上経た江戸の様子になります。
1800年代には、工である職人が、士農工商という身分の枠を越えて、日本橋の通りで直接自分の簡易店舗で商売を行うことが出来るようになりました。
このように従来の身分の枠を越えた人たちが現れてきたことで、様々な職業が現れ、身分が複雑化あるいは細分化していったといえるでしょう。
また、今回は触れませんでしたが、虚無僧(前述の動画2:42付近)、飛脚(3:02付近)、鷹匠(6:45付近)等といった士農工商以外の職業の人も、熈代勝覧にはたくさん描かれています。
今回の話しは講談社学術文庫、日本の歴史17『成熟する江戸』をもとに書いています。
もう少し詳細に知りたいという方は是非読んでみてください。
それではまた
~笠戸丸の風~
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