JICA海外協力隊の世界日記

ラオスで協力隊暮らし

2年間を振り返って―その1

サバイディ(こんにちは)!

ラオスで生活を始めて1年11ヶ月

世界日記の執筆を始めて11ヶ月

本当に、本当に、いろんなことがありました。今だからこそ、わかること。今だからこそ、思うこと。帰国までの投稿では、活動を振り返る記事を数回書いてみたいと思います。

任地・ルアンパバーンに来て、まずぶち当たった壁。

それは語学です。

二本松訓練所でも、首都での語学訓練でも、一生懸命がんばってきたはずなのに。こんなにも伝わらない...話しかけてくれているのに全然わからない...

同じラオス語ですが、ルアンパバーンで話されている北部方言は独特の声調なのです。聞いただけではさっぱりわからず、書いてもらってやっと理解できる。そんなことを何回も繰り返してきました。


「ハルカは全然わかっていないね~」

「ラオス語わからないんだね~」

ラオス人同士笑いながら私のことを言ってる...そのラオス語はわかるんだなあ...笑


そして一番慣れなかったのが、ラオス人の「ハッ?」


本人たちはいたって普通に、日本人が「えっ?」「どういうこと?」と聞き返すように、「ハッ?」(眉間に少しだけしわを寄せながら...)と言います。


分からなくて、もしくは聞こえなくて聞き返しているとわかってはいても、その「ハッ?」に『お前のラオス語まじでわからん』という意味が込められているような気がして、一人で勝手に落ち込んだことも何度もあります...


注:ラオス人は全くそんなことは思っていない。むしろ「日本人なのにラオス語が話せるなんてすごい!」と言ってくれることが多い。これは私が勝手に落ち込んでいたエピソードです。

言葉の壁に嫌になることがたっっっくさんありました。

でもいつの間にか半年が過ぎ、1年が過ぎ、もうすぐ2年が経ってしまいます。ラオス人同士の雑談もわかるようになり、冗談も言えるようになり。毎日同僚と話すのが楽しくなりました!!

ただ、言葉がわかるようになればなるほど新たな課題も出てきます。


言葉のニュアンスがわかるため、「何でそんな言い方するの?」「いまの言い方ひどくない?」と思うようになったり。話し合いで意見が言えるようなったため、私も同僚もお互い譲らず、何だが微妙な空気になってしまったり。

悩みは尽きない...

でもそれは私のラオス語がまだまだ未熟だから。もっともっとラオス語がわかるようになりたいなあ!と思います。

約2年過ごし、語学に満足するかと思いきや(というか、嫌気がさすと思いきや)、もっとラオス語を勉強したいと思うようになり、自分でも驚いています。

心の底から、ラオス語に出会えたことに感謝し、ラオスを離れてもラオス語を忘れたくないなあと思っています。

写真①:ゴールデンシャワーと呼ばれる花。4月中旬から見頃になります。ルアンパバーンは北部のためか5月上旬過ぎが満開で綺麗でした。

写真②:川の水量が少ない乾季にだけ架かる竹橋。今しか見られない。

写真③:私の送別会の様子。ラオスの伝統儀式・バーシーをしてくれました。バーシーは新年や冠婚葬祭、歓迎、送別などいろいろなタイミングで行われる、ラオス人にとって重要な儀式です。祈りを込めながら、同僚が腕にひもを巻いてくれます。「2年間ありがとう」「日本まで気をつけて帰ってね」そんな言葉に混ざり「はやく彼氏ができるといいね」...余計なお世話!笑

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