2017/06/02 Fri
生活
命をいただくこと
Mulenbe!(こんにちは)
先日、家のすぐ隣から豚の鳴き声が聞こえてきました。いつも以上に大きく甲高い鳴き声だったので悲鳴のようにも聞こえましたが、気のせいだろうと思っていたのも束の間、ポコッという微かな音とともに豚の鳴き声もピタリと止まりました。まさか…
そうです!隣の空き地で、豚の解体が行われていました。今回は、偶然にも目にすることになったこの出来事について紹介させてください。
怖くて間近で見ることはできませんでしたが、かといって、目を離すこともできず、ただただ作業が進むのをじっと見ていました。すると、隣人の女の子が声を掛けてきました。「この豚は一番奥の小屋にいたの」「キロ当たり8000UGXよ。何キロほしい?」
さて、作業は次のような手順で進んでいきました。
①眉間のあたりを強打→②首を切断し血抜き→③乾燥したバナナの皮を燃やし表面の毛を焼く→④ナイフで毛や皮の表面を除去する→⑤石でこすりながら表面を水で洗い流す→⑥剃刀の刃で残った毛をきれいに取り除く→⑦お腹を切り開き内臓を取り出す→⑧背骨に沿って切り開き2つのブロックに分ける
振り返ってみると、予想していたよりも冷静に見ていたような気がします。「バナナの皮をシート代わりに利用するなんて経済的だな」「石でこすった豚の表面は驚くほど真っ白だな」「心臓はこんなに小さいのか」なんてことを思いながら。恐怖や気持ち悪さといったものをあまり感じなかったのは、自分でも不思議でした。そして、日本でこの場面を目にしたらどうだったのだろう、と思わずにはいられませんでした。
ウガンダでは、自宅で鶏を捌くことが当たり前です。お肉屋さんの店頭には、豚、ヤギ、牛などの大きな肉の塊がぶら下がって売られています。「命をいただく」ということをどう表現し伝えていいのかわかりませんが、ただ、パック詰めで売られているものよりも愛しく、大切に感じられました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
Wanyala naabi!(ありがとうございました)
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